Dear 拝啓○◯様へ

キーボードを打つ音が響く、言葉に詰まると「J」と「I」のボタンの上を打たないように、軽くリズミカルに触る。「J」は少し軽やかで「I」は聞こえるか聞こえないかの音。カタカタと、それは単に触り方なのだけれど。そうしているうちにいつも次の言葉を見つけ、またキーボードの上で私の指は軽やかに動く、たまに力強くも動く。

「わたしのこと、覚えていますか?」この書き出しはよく自分を振った相手に向けての依頼の手紙で使われる。典型的な文面だろう。

「わたしのこと、覚えていますか?」で始まり、「さよなら」で終わる。よくその辺に転がっている、howto本にも載っている。

たまにhowto本に載っている定型文だけを用いる手紙師もいるらしいけれど、そんな者を手紙師と呼ぶことを私は認めない。職業に「師」を付けていいのは、極めた人だけだと思っている、自分の道を極めた人。

だから私は定型文をコピーアンドペーストする者たちを「手紙師」とは呼ばせたくない、一緒にされたくない。

布団の中から出るのが辛い時期になってきた。付けたはずの目覚ましがいつも知らない間に止まってしまっている。時間を確認して少し驚きながら、アラームを「あと5分」にセットして、またうたた寝を少しした。

今日中に仕上げなければいけない手紙がある。朝ご飯は昨日、おばさまが持ってきてくれたスコーンにしよう。だからそろそろ布団からでなければ。

「ねえ、失くしたと思っていたあの指輪がキャビネットの裏から出てきたの。あなたはあの日々を覚えているのでしょうか。そもそも、あなたはわたしのことなんて覚えていないでしょうか。」

「いま思い返すと、本当にあれは恋で、わたしは若かった。「なんで?」あなたの頭にはいまそれが浮かんでいるでしょうか。「なんで、今になって手紙が届くのか」、「なんで?」あなたが去ったあの時、わたしもずっと頭で考えていた。なんで?」

「ねえ、なんで?なんで?」

「あの時、ひたすらに繰り返した、なんで? わたしだって馬鹿じゃないからね、あなたとわたしは立場が違ったことも、2人の関係はあってはならないものだってこともあの時分かってたよ。でも、それがあなたがわたしを置いていく理由になるなんて、全く思わなかった。だって二人は本物だと思っていたから。」

「今となっては、淡い初恋で、よくある恋物語。だってわかるよ。わたしだけがわかってなかった。」「なんてね、こうやって書くと綺麗な思い出ね。」「最近、実家に立ち寄ることが多くなりました。母の体調が悪くて。あなたが昔住んでたアパート、階段が錆びてて、音がすごく響くの。3階のあなたの部屋へ向かうわたしは、制服を着ていたから、響く音で誰かにあなたの部屋へ入るところを見られたら嫌だな。って思いながら、丁寧に階段を上った。」

「あなた、ねえ、先生。」「母は少し認知気味で、わたしを友人と間違えるの。20年くらい若返った気持ちの母は、とても楽しそうに話をしてくれる。」

「ねえ、先生。母は先日亡くなりました。」「ねえ、あなたは、何がしたかったの?いま、忘れていた「なんで?」が頭の中に浮かんで、消えません。」「母はわたしが先生を忘れかけたころ、自殺未遂みたいなことをしたことがありました。そのときの後遺症で足を引きずって生活を続けていて、だから認知症になったあと、心配で、わたしは、わたしは、わたしは、自分の生活を削りながら介護をしていました。」「先生、いま、あなたの「なんで」は解決したでしょうか。」「先生、どうしてもどうしても、あなたに手紙を送りたかった。あなたに伝えたかった。あなたは知るべきだから。」「ふたりの女は、共に、順に、傷つきました。一人はもうこの世界にいません。でも、その女の悲しみがじわりとわたしに残りました。この気持ちを言葉で表すのは難しい」「悲しみ・失望・衝撃・落胆」「だけど、この手紙を持って、こんな気持ちは終わりにします。あの思い出は心の奥底にしまってしまいます。あなたにもらった指輪は、母の祭壇に置こうかと思ったけれど、死んでまであなたに囚われるのは可哀想だから。」「今度はあなたがわたし達の幻影にとらわれますように。送ります。」

「さようなら」


手紙は「区切り」だ。何か気持ちに区切りをつけるために、手紙を送る。

わたしたちはそんな「区切り」のある意味儀式のためにいる。手紙師が書く手紙は、依頼者の区切りとなる。

パソコンで打った文字を、便箋に書き写す。手紙の本文を考えるとき、気持ちは依頼主と共にいる。依頼主に聞いた話、表情、その心の奥底の気持ちを読み取って、言葉を選びながら、間違いがないように丁寧に考える。

言葉は武器にもなるし、平和の象徴にもなる、愛を語れるし、絶望も与えられる。

書き写すときには、今度は依頼主の心を離れる。丁寧に文字に言葉に便箋に染み入るインクに手紙師としての念を込める。”祈り”だ。祈りを込める。この手紙が依頼主の区切りになりますように。

思いが重い手紙を書くと疲れる。誰かの人生の区切りなのだ。そりゃあ重いだろう。そして、それを私の体を通すのだから、疲れるにきまっている。

気がついたら夜になっていた、人の人生を生きてばかりいる。私はどこにいるのだろう。







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