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釣狐について

これぞ、日本が誇るパフォーミングアーツだ!

とにかく驚いた!
令和二年一月五日の野村萬卒寿記念『萬狂言・新春特別公演』にお伺いした。野村万蔵さん率いる萬狂言。今年卒寿をお迎えになるお父様の野村萬先生は人間国宝であり、令和元年に文化勲章を受章された。それを祝い万蔵氏のご子息が三人(長男の万之丞氏、次男の挙之介氏、三男の眞之介氏)が、それぞれに初めての節目となる曲に挑むという、めでたいめでたい公演である。

 まずは、五穀豊穣を寿ぐ「三番叟」を野村挙之介さん(次男)がはじめて舞われ、これが凛としたなかに野性味があり(お猿の子みたいで可愛らしい)なかなか魅力的。隣に座っていた猪瀬直樹氏は、「アミニズムだな.......」などととつぶやいている。

萬先生卒寿記念の格調高い一曲に酔う。

次に、萬先生の「柑子(こうじ)」のみごとな芸に大笑いし感服した。柑子とは、ミカンのことで、一枝に三つついているとおめでたいそうである。主人から預かったそれを三つとも食べてしまった太郎冠者。その理由を説明するという単純なお話なのになぜかお大笑い。以前、わたしが『オセロー』という芝居に出演した折にご一緒した名女優・三田和代さんとの会話を思い出した。「三田さんがセリフを言うと、なぜなんでもないセリフなのにお客様は大笑いするですか?」と三田さんご本人に直接おたずねすると「観客は意味がわかると笑うんです。そのためには正しい日本語のイントネーション、強弱を身につけることです」と大学教授のようなお答えをいただいた。感性とか情熱を超えた匠の技に支えられて、いとも面白い舞台が成立することを思い返した。萬先生卒寿記念の格調高い一曲に酔う。

しかし驚いたのはこれからである。
三男の眞之介君の『奈須与市語』(なすのよいちがたり)の初々しい語りを聴いたあと、いよいよその驚きの狂言がはじまった。

『釣狐 』について
つりぎつね。タイトルからしてヘン!
狐を釣る?お魚じゃないのに。
調べてみると、『釣狐』とは、「狂言の曲名。狐釣りの名人の猟師 に一族を釣り絶やされて,わが身の危うくなった古狐 が,猟師の伯父の白蔵主に化けて行き,玉藻の前の故事を引いて,狐のたたりを説き猟師に狐釣りを思いとどまらせる。しかし罠に仕掛けられた餌のねずみの油揚げを忘れられず,正体を現してついに罠にかかるが,苦闘の末にかろうじて逃れ去る。肉体的苦痛を伴う大曲」(※Ⅰ)と書いてある。
これまでに習得してきた技術をすべていったん捨てて、まるで逆のことばかりをしなければならない (※Ⅱ) というなんともアーティスティックな作品だ。

 まずは、橋掛かりから万蔵氏扮する「猟師」と万之丞氏扮する「白蔵主」に化けた狐がやってくる。「白蔵主」とは、狐が法師に化けること、または逆に法師が狐のように振舞うことをと呼ぶそうだ。その様子がただものではない。狐が人間に化けているのだから、歩いている様子もどこかに獣の異様さが漂う。びっくりして目を見張っているうちに、何やらいつもの会話がはじまりちょっとうとうとしだしたところに「ギャー」という尋常でない吠え声。狐の雄叫び。狐って「コンコン」ってなくんじゃないの?目から鱗の驚きの展開。それから、九十分間アバンシャルドな物語はつづき、最後には、狐の着ぐるみを着た万之丞氏がぴょんぴょん跳ねたり、でんぐり返しをしたりと体力の限界まで演じ切る。なんとも不思議な演目。これぞ、日本が誇るパフォーミングアーツだ。

狂言の世界では、「猿に始まり、狐に終わる」という言葉どおり『釣狐』を初演することにより一人前の狂言師と認められることになっているそうだ。その万之丞氏、数年前に万之丞襲名記念の扇を描かせていただいてから格段の成長をされていた。潔さと憑依、品格、なんともパワフルな演技に心から感動した。これからの演技がますます楽しみだ。

※タイトルの絵は、万之丞襲名記念の扇の一部分

引用
※Ⅰ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
※Ⅱ https://wawawanet.exblog.jp/11677062/

※下記の画像は、狐にまつわる日本の物語。以前、金毛九尾の狐の役をやったことがあったり、澁澤龍彦の『眠り姫』という短編集のなかの狐のお話が好きなのでまたいずれ狐については調べてみたいと思う。
※一番下が今回みた萬狂言のフライヤー。

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