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「空母いぶき」に見る平和の姿

夫が『空母いぶき』の漫画をいたく気に入り、映画化されているので、一緒に見ることになった。

率直な感想を言うと、
キャスティングは豪華なのだが、構成的な部分に無理やり感があり、かなり違和感を覚えた。ただ、主軸とする内容は、外交や防衛において将来の日本はどうあるべきか、そして一体平和とは何なのかなど、考えさせられる内容だった。中学生くらいの子供達が歴史や社会について考える題材としては良いと思った。

私的にはこの映画のメインメッセージは、
平和というものは、ただ待っていても得られるものではなくなってきている、いかに戦略的な外交、防衛をしていくかを常日頃から考え、実践できる状態にしておかなければ、平和な国家は実現出来なくなっている。
というようなことだと思う。
いつ日本の領土が脅かされるかわからない。
そのリスクは日に日に増している。
平和ボケしているから全然実感はないが、確かに世界には民主主義や平和主義からかけ離れている国は存在し、戦闘や非人道的行為も現に起きている。
こういう国が本当に日本に対し何かしかけてくるかもしれない。だが、日本は、現在の法律上、「専守防衛」という戦い方しかできないのである。

専守防衛とは
相手から武力攻撃を受けたとき にはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のた めの必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も 自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法 の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。
(防衛省ホームページより引用)

この「専守防衛」を前提とした戦い方の難しさや限界が、この映画を見るとよくわかる。
今にも殴りかかってきそうなのに、逃げることもできず(逃げると相手にナメられる、言いなりになってしまう)、殴られたら致命的な状態になるかどうかを見極めないと、抵抗してはならない。もしくは、殴られてからでないと抵抗してはならないのだ。

西島秀俊さん(大好き!)と佐々木蔵之介さんが現場の自衛官役(空母いぶきの艦長と副艦長)である。この2人を中心にストーリーは展開していく。
専守防衛を基軸としながらも、現場の判断(やられそうなのか見極めて、先手で攻撃も良しとする判断)を優先しようとする艦長と、あくまで、戦争をしてはいけない、自衛に徹するのみとする副艦長。
専守防衛と一言で言っても、その認識は人それぞれである。
そういう認識の差はこう言ったセリフからもうかがえる。(うる覚えなので、正確な言葉ではないけど、こんなニュアンス)

副艦長:日本の自衛隊の誇るべきところは、今まで一人たりとも戦争により死者が出ていないことだ。
艦長 :そうではない、戦争によって一般国民に一人も死者を出していないことだ。国民を守るために死ぬのであれば、それは我々自衛官の本望だ。

副艦長は、自衛隊という視点、艦長は日本国、日本国民という視点、視点の違いであって、どちらも間違っているわけではない。

総理大臣役の佐藤浩市さんも印象的だった。
総理は自衛隊の最高指揮権を持っている。現場の状況から判断をする難しさ、外交も考慮しながら進めなければならない。世論への対応もしなければならない。
相手(敵国)が攻撃を仕掛けてくるようになるが、日本としては、相手の挑発に乗ることなく、もちろん「専守防衛」で進めなければならない。
そのうち相手の攻撃が明白なものとなり、抵抗してもいい(=攻撃してもいい)要件が十分に揃った時、ある大臣が、「総理、もう要件は揃ったから、戦(いくさ)をすべきだ、日本の領土を取り返すべきだ」と言う。
それを、総理はこのように戒める。
「我が国は、過去の戦争以来、たった一つ大切に守り通してきたことがある。
それは、2度と戦争をしないと言うことだ。
軽率に戦(いくさ)などと言わないでいただきたい。」
私は、この言葉にグッとシビれた(浩市さん最高!)
そう、日本は戦争をしてはいけないし、それを誘発するような行為もしてはいけないのである。

エンディングは、外交戦略が功を成し、アメリカ、中国を始めとした安保理が動き、仲裁に入る形で、戦争にならずに済んだ。
映画なので最悪のシナリオにはならなかったが、現実同じようなことが起きたらどうなるのだろう、今の日本の政治家、自衛隊は「専守防衛」を基本に敵国と戦いつつ、他国と協調しながら平和的解決に向かっていけるのだろうか。そんなことを想いながら、平和っていろんな人の努力の上で成り立ってるものなんだとあらためて思ったのである。

いじょう!

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