見出し画像

【伊豆国】 頼朝挙兵の地にある八幡さま(守山八幡宮)

守山八幡宮もりやまはちまんぐう?なんですか?そのマイナー感たっぷりな神社は。

なんて思っちゃいけません。この神社はあの源頼朝みなもとのよりともが挙兵した地にある八幡宮で、頼朝が挙兵したときにもあったとされる神社です。

源氏(河内源氏かわちげんじ)は代々八幡神はちまんしんを崇敬していたことから、流人時代をこのあたりで過ごした頼朝ももちろん八幡神を崇敬していて、この守山八幡宮にもきっと何度かお参りしたはずです。

ということで、前置きはこれくらいに写真をお見せしますね。

これは守山八幡宮の門前。けっこう立派そうな神社です。

なんか雰囲気いいです。森の中に静かに鎮座まします八幡さまって感じで。早速、境内へと入ってみます。

境内に入ってすぐ目の前にあるのが、こちらの舞殿。
門前からも見えていて、何か趣きある感じを醸し出していたのはこの舞殿だったんですね。

階の欄干など新しく修繕された場所もありますが、立派な舞殿です。
今でもここで舞が奉納されることもあるのでしょうかね?

そして、この舞殿の裏手には・・・。

高低差かなりあります。かなり急な石段です。
特に石段の上に行けば行くほど角度がついているような。。。

少し二の足を踏んでしまいそうな、このような石段が舞殿の裏に隠れていましたっ!

意を決して石段を登っていきます。
登った先に本殿があるはずです。
何としても八幡神にお参りせねば。

なんとか登り切りました。見てくださいこの高低差を。
息切れこそしませんでしたが、しばらく心臓はかなりの速さでトクトクトクトク。

さ、いよいよ本殿です。

あれ?
あ、いえ。なんか拝殿・・・。

ま、まぁ、日当たりが悪く、湿気が多い場所ゆえ、木は結構傷みやすいようで、度々修繕され、立て直されてきたんでしょうね。仕方ないです。

この拝殿のところに手書きの解説板がありました♪

これによれば、この神社の創建は大化たいか3年(647年:白鳳時代〔飛鳥時代〕)で、もともと大山祇神おおやまつみのかみ(山の神様)が祀られていましたが、延喜えんぎ7年(907年:平安時代中期)に豊前国ぶぜんのくに宇佐八幡宮うさはちまんぐうから八幡神を勧請して一緒に祀られるようになってからは、伊豆国総社八幡と称されるようになったそうです。そして、現在の本殿は寛永かんえい9年(1632年:江戸時代前期)に久能くのう城主・榊原照久さかきばらてるひさの造営によるものなんだそうです。

まぁ、創建が大化3年なんて奈良時代より前の時代なので、相当古い神社のようです。

でもなんで、久能城主(静岡市)が本殿を造営しているのか疑問でした。このあたり一帯は江戸時代、幕府の直轄領で、すぐ近所には韮山にらやまの代官所が置かれて、代々そこの代官である江川えがわ家によって治められていました。なので、もし幕府の命令なら江川さんに造営が命じられそうなものですが…。

さて、今回は難しい話はナシにして、ここまでにしたいと思います。
最後に私が選んだ守山八幡宮のお気に入りの写真を貼って終わります。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。