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する自由・しない自由

ごきげんよう、大淀です。
今日はちょっと暗めです。
あまり元気ないなって人は温かい紅茶を淹れてゆっくりしましょう。
最近すずしくなりましたから、温かいものも一層美味しくなりましたね。


最近声優さんの結婚報道などがよく聞かれるようになりました。
声優さんがこうやって表立ってニュースに取り上げられることが、いまだ不思議な気持ちです。
時代が変わったなんて言うと年寄くさいですが…

そういう報道に対して、「○○さんもいい歳なんだから、結婚していて当たり前だよ」「むしろ結婚してないほうが心配になる」という言葉を目にすることも多いです。
ファンの方は結婚を肯定的にとらえ、お祝い事として受け止めていらっしゃるからこそ、こういう言葉が出てくるのだろうと推測できます。
多分実際そう。
でも私はきっと疲れているから、「結婚してて当たり前」なんだな…と無駄に憂鬱になるのです。
特に年齢を物差しにして「当たり前」と結び付けられることはすごく辛い気持ちになります。
結婚する自由が受け入れられるならば、結婚していない自由もファンなら、いや、ファンじゃなかろうが受け入れるべきだと思います。
昨今は結婚しない自由も肯定的にみられるようになってきたと思いますが、まだまだそういう無邪気な意識にある刃というのは、心の中に潜んでいるのだろうなと思いました。

「当たり前」「普通」という物差しは、本当に「当たり前」で「普通」なのか。
自分がその言葉を使うとき、それは果たして本当なのか。
問い続けながら生きていきたいな。

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