見出し画像

転んだときの涙の理由

ごきげんよう、大淀です。

先日、久しぶりに転びました。
段差に躓いて一人でよたよた転んでしまって、誰もいなかったのに恥ずかしくて仕方がありませんでした。
咄嗟についた両手を見やると、幸い砂や砂利がついているばかりで、血は出ていない様子でした。
膝も痛いけど血が出てないし、ストッキングも破れていない。
でも手足のジンジンとした痛みを感じると、じんわりと涙がこみ上げてくるのと同時に、言い表しがたい気持ちがこみ上げてくるのです。

小さかった頃のことが思い起こされました。
子供の頃、こうやって転んだ時、結構すぐにぐずっていた気がします。
でもそれは一人の時は恥ずかしくてできなくて。
お母さんやお父さんがそばにいるときだけでした。
あの時の涙は単純な痛みに対する生理的な涙だけではなく、「痛かった」という意思表示をして、親から「痛かったね、大丈夫?」と言ってもらいたくて泣いていたのかもしれません。

今だって「大人だから泣かない」つもりだったけど、本当は「大丈夫?」を言ってくれる人がいないから泣けなかった。
そういうことなのかもしれません。

未だうっすら痛む掌を見つめながら、このnoteを書いています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?