和菓子職人、アメリカで暮らす。vol.1〜和菓子のガラパゴス化〜
2022年6月18日に渡米してもうすぐ1年になります。
どういう経緯で、等は別にまとめたのをまたあげるとして(単に夫の仕事の帯同で渡米したのですが)、とにかくアメリカでの生活で日々こぼれる気づきであったり、発見であったりを書き留めることを目的にnoteに投稿するのを再開しようと思います。
私は今アメリカは南部テキサス州ヒューストンという大都市に居を構えております。移民が多いので、私がとりわけ「アジア人である!」「日本人である!」というのが目立つというか、「浮く」ことなく暮らせており、私はむしろ居心地よく感じてもいます。学校の社会の授業で習った”人種のるつぼ”を体感しています。
もちろん渡米直後は、車は運転できないし、英語なんて大学卒業後久方使うことも勉強もしてこなかったし、2歳児の息子は退屈して動きたがるし、でパンクしていました。渡米前からパンクするであろうと想像していたけれど、やっぱり予想を外すことなく、不安定でした。どれだけ不安で億劫でも夜はくるし、お腹は空くしで、そんな自分が嫌になって、そこで初めて一歩が出て・・・その繰り返しが今も続いているような感じです。大人だから未経験のことでもしっかり対応できる・・・はずもなく、初めてのことや慣れないことはしっかりつまづくんだなというのを30代半ばにして学びました。
そして同時に気づいたのは、やっぱり手を動かすこと、心底和菓子が好きということでした。日本での生活は和菓子のお店を営むことと育児に手一杯でしたが、いきなりアメリカにきて、子どもと向き合う時間が増え自分の時間を得たとしても、湧き出てくるのは、和菓子のこと。今までは仕事が趣味みたいにほぼ私の中心にあったということ、もう一つとしては、アメリカで出会う方(日本人、現地の人問わず)と話すと自己紹介とセットで和菓子の話になるということもあり、渡米後2ヶ月後には、自然と現地食材での和菓子作り研究し始めました。おそらくそれが自分にとっての精神安定のためでもありました。
その中で、私と同じように駐在されている奥様方や現地在住の日本人方と話すと、「和菓子職人」(個人的には職人というワードは使いたくないのですが便宜的に)がいかにガラパゴスな職業であり、和菓子がいかにレアなものであることに気づかされました。京都という和菓子の聖地的な場所で慣れ親しみ、和菓子屋が多く、職人仲間が多い・・・それが「当たり前」である感覚が染み付いていた、というのが分かったという感覚です。そして”ガラパゴス”というのが本当にフィットしている気がしています。京都で和菓子屋さんを始めたのも、アップデートされて行かない和菓子業界の将来を憂い、そのためにも「子ども達にとって和菓子が身近なものであるために」という思いもあったからですが、アメリカに来て、「和菓子がほとんど知られていない」という現状を目の当たりにしたからです。ヒューストンには上質な日本食料理店さん、ラーメン屋さんがあり、日本酒もあるけれど、そこには和菓子屋さんはない。日系スーパーには冷凍輸入品で団子や大福はあります。が、多種多様でクオリティの高い和菓子はありません。こんなに経済発展している現代アメリカにおいて低品質の和菓子の一部しかないのか!というがっかり感。SNSが発展してるとはいえ情報は届いていなければ知られていないのと一緒のこと、とさえ思わされました。なぜ和菓子屋さんが日本には沢山あるのに外に出ていないのか?(以前にヒューストンにはあったがコロナで撤退したと聞きましたが・・・だとしても。)少なくとも昔と違って、日本食、ラーメンといった日本の食文化が既に評価をされている現状があるのにも関わらず。日系スーパーやアジアスーパーのリサーチをしていく中で、和菓子が既にガラパゴス化してしまっていることにショックを受けました。もちろん渡米前にも、アメリカにはおいしい和菓子はないだろうと想像はしていましたが、吟味・淘汰された結果和菓子がないのではなく、そもそも知られても届いてもいなかったという現状にショックを受けました。
日本において和菓子業界は瀕死の状態にあり、アメリカでは”ガラパゴス化”されていしまっているという現状を目の当たりにした私が次にとった行動とはーーー!?、というところで予告で今回はおしまいです。
つづく。
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