生まれたときを覚えていますか?

●生まれたときを覚えていますか?

どうもです。満野和敏(みつのかずとし)です。

自分が生まれたときを覚えていますか?

どのように生まれてきたのか?

僕は何も覚えていませんでした。

ずっと記憶には無かったです。

でも、両親が離婚してから随分たって、自分の中にいる両親と向き合っていった時に、僕は父さんと母さんに本当に愛されていたのか?

ここに疑問が生まれたんですね。

当初の僕は愛されていたわけがない。

ただただ、こういう答えしか出てきませんでした。

でも、自分の中にある父さんや母さんに向けた愛情を紐解いていった時に気づいたんです。

僕は愛されて生まれてきたって。

その事に気づいた瞬間に、一気にその時の情景が出てきました。

母さんに抱かれている僕。

父さんやじいさんばあさんや親戚のおばちゃんが喜んで僕を見ている姿。

それをありありと思い出したんですね。

僕はその時、自然と涙があふれたと共に愛されていた事に気づいたんですね。

僕は自分の中にある父さんと母さんへの愛情を拒否されたと感じた時から、父さんと母さんの愛情も拒否したんだって。

そんな事に気づいたんですね。

いつもいた父さんや母さんはいつも変わらず僕に愛情を与えてくれていた。

でも、僕はそれを受け取ろうとはしなかった。

僕は拗ねてたんですね。

僕を大切にしてくれない父さんと母さんに。

実際には大切にしてくれていたと思います。

でも、僕の中で傷つけられた記憶だけが鮮明にあって、大切にされた記憶は消し去っていた。

かわいがられた記憶より、母さんに怒られ叩かれた記憶の方が色濃く残っている。

父さんは怒らない人で、母さんは凄く怒る人だった。

でも、今思えば、父さんは必要以上には子育てに介入している感じがなかったので、母さんが一人で奮闘して大変だったんだと思う。

ある意味、怒る役は母さんに任せた感じだったんだと思う。

これは、言い換えれば父さんは母さんを信頼しているから任せていたわけだろうけど、そういう風に捉える事は出来なかったと思う。

母さんはちゃんとしようと言う規律に厳しかったから、僕にちゃんとしなさいと言う事は凄く言ってた。

でも、これも今思えば、父さんの前でちゃんとしないといけないと言う思いがあったから、母さんはそうやっていたんだと思う。

父さんがいない時の母さんはそこまで厳しくなかったから。

そうやって、色々な事を思い出すと、父さんも母さんもそれぞれに一生懸命で、でも、掛け違えたボタンの留め直し方がわからなくて苦しかったんだと思う。

そんな中でも、自分の人生、子供の人生、家族の人生を考えて生きていたんだと思うと、本当に有り難いなと思う。

僕は父さんや母さんのようになれる自信はないけど、いつか自分の子供が生まれる事があったら、子供の気持ちを感じてあげれるような親になりたいと思う。

今日は最後にこの詩を載せます。

これは、僕が27歳の時に書いた詩です。

27歳と言う歳は、母さんが僕を生んだ歳です。

あなたへと言うタイトルです。


僕はあなたとケンカばかり本当はそんなコトしたくないのに


なぜかあなたと喋るとケンカばかり


だけどそんな僕を見ても優しい笑顔で包んでくれた


僕が風邪をひいた時


あなたはあわてて僕をかついで


病院までパジャマ姿でわきめもふらず人の目も気にせず


僕をおぶって連れていってくれたね


いま僕はあなたが僕を生んだ歳になって


見えたものがたくさんあるんだ


いまの僕はあなたにはほどとおいけど


それでもあなたを死ぬまで守ります


今の僕があなたにいえる言葉はありがとう

あなたのサポートが僕のチカラになります。そして食べたいものを食べたりして元気になります(^^)