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別離

昨晩、心の終わりを告げ
デパスとレンドルミンを嚥下しても眠れず
結局サイレースで夜明け前に起きてしまい、

同じ自殺未遂で閉鎖病棟にて出会った子が回復してきたと言っており、
よかった、よかったね、
と下手くそな感情を伝えた

春情に再び置いていかれるような風が頬を撫でた。


毎朝分の向精神薬を飲み、
母親が私に注いでくれなかった愛を
愛猫に注いでるのを毎日見てしまっているが、
もうこの方達とは絶縁する身なので母愛も満たされなかったがどうでも良いと感じた。

他に少しでも私を大事にしてくれる少しの量の愛だけでも私は幸福と思う。

その上、私には愛人が生きて居る生活をしているという事だけで充分な程溢れる程幸せである。
愛人が美ちなる方へ行くだけでこれ以上の幸福は無い。

これ以上にも幸福を望むのもお粗末である様な気がして
愛人と共に生きれる事だけで全く持って充分である
私は人を愛し愛され、幸せだ。


実家の自室でタバコを吸いながら
夜明けを眺めて少し日が出て蒼色になった障子を
今日も綺麗ね貴方はいつも、と呟いて
音楽という祈りを聴く
灰皿に日々の感情が溜まっている


リストの"ラ・カンパネラ"
"夏を見ていた"
小林私の"生活"
"遠くまで行く君に"
"第三楽章愛ゆえの決断"
"色水"を最後に愛人への気持ちを日々募らせては
生活に移る


倉橋ヨエコの"感謝的生活"や"楯"で、
虐待してきた両親の立場や感情も考え
最近になりやっと両親への懺悔は治まった


彼らも仕様がない程に
複雑且つ悲惨な物を持っている為、
未だ責め立てることは出来ない

誰も悪くないからこそ辛かったが
私はこれから私としての人生を歩む訳であり
両親からの解放言わばストレス要因から
離れられる事ができる訳である
うつ病等の精神疾患を治したい
自身の診断書がおりて、うつ病とはっきり書かれ
要因も家庭内不和によるものと公として事実として
残されてしまった
私の家庭事情は、県警や地元警察,市役所,保健所まで
知っているので
自分も虐待された事実を受け入れなければならない

それでも両親への愛,気持ちは絶えなく
だが大学卒業と共に絶縁状と戸籍の変更する
という予定について
母親は承諾した

母親の実親も度がつく程の毒親で
母親が五十路になっても
『お前が死ねばよかったのに』等と言う程である
母親の過去も悲惨で、
実母がキリスト教な為
母親は幼児洗礼を受けた
4歳の頃、近隣の中年にレイプされ
実親も何も対処しなかったという

母親はシスターになりたかったというのを
何回も聴いたが
幼くもその夢は絶対的に叶わぬものとなってしまった
その絶望は計り知れないだろう
その上、実親からのネグレクト,顧問からのセクハラ,2回目のレイプ,死産に離婚,
あまりにも悲惨である
母さんを思うと抱き締めたくなる
だけれど私は彼女をあの様な苦しみを持った
母さんを抱き締めれる気もしない

きっと彼女は一生孤独で
他人に分かって抱擁して貰える所が少なすぎる
いつか抱き締めれるようになりたい


そうではあるが、私自身も身体的虐待と心理的虐待,ネグレクトと実親から受けてきた

それでも時折見せる母親の聖母の様な優しさと微笑みが私は愛してやまなかった。

未だ彼女らを恨む事が出来ない

母親は私達を恨みなさいと
実親と絶縁した自らの経験で言うけれど

私は、あの母親の聖母の様な暖かさと優しさ故の傷も悲惨すぎる過去も知っているから

父親とは絶縁出来るだろうけれども、

母さん、母さんだけは恨めない
やるせない

少なくとも私にとって
母さんは聖母の様に見えたし
あの過去故の人格形成が上手くいかなかった事くらい
分かるから
母さんを突き放すなんて、未だ出来ない

まるで聖母みたいな人だった
道で困って居る人には必ず声を掛けていたし
率先して自分にメリットが無い事にも関わらず他人の為に自己を犠牲にしてまでする行動力も
それはどんどん母さんを蝕んで、
私はここまでしてるのに、と豹変してしまったが
母さんにも数え切れない程の感情があり、
そうなってしまった事くらい分かってしまう

血が繋がっている親子であるから


だけれど、私はこの家庭によって
うつ病等の精神疾患になってしまった
それはもう公として事実として
証明されてしまったのだ
県警,地元警察,市役所,保健所,精神科まで

私は、
私はいち人間として苦渋の決断を
下さなければならない。

私は私であり、もう両親が全てでは無い。

私は新しく居場所を作り、形成していかなければならない。

私は私の為に生きるのだ。
私は新たな大切で堪らない愛してやまない人の為に
生きるのだ。

生きたい、とそう思えたのだ。

そう思えた所で、生活を築いていく。



母さん、父さん、深く、愛していました。
貴方達がどうか笑顔でいて欲しい、
とただそれだけなのです。

序文で書いたように、母親は私にはあまり注いでくれなかった愛を注ぐ相手というか私が引き取った保護猫が居て、それから母親の笑顔も増えて私にあまり注いでくれなかった愛を注いでるのは少し羨望の目で見てしまうが、母さんの表情が柔らかくなったのがただただ嬉しくて嬉しくて

どうか笑顔でいてください
どうか自己嫌悪で泣く夜をお辞め下さい
誰も悪くないのだから
私は私として生きていくから
私は私という芯を持って生きていくから

愛する人と新しい居場所を作るから
きっと幸の風が吹きますように

愛していました

また逢う日まで

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