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言語&法&貨幣

言語・法・貨幣
3 人からひとへの伝承(2008・6・3)
 人間の本性をめぐっては、長らく環境決定説との間で激しい論争があった。
遺伝説には人種偏見や性差別などの正当化に悪用されてきた忌まわしい過去があり、いまだに多くの人が拒否反応を示している。
 もちろん、遺伝子研究の結果の多くはまだ仮説にすぎず、また環境要因がすべて否定されたわけではない。
だが今、学問に誠実であろうとすれば、遺伝要因の重要性を指摘する生命科学の成果を無視して「人間」を論ずることは、もはや許されなくなったのである。
 それでは、人間の本性はすべて遺伝子情報に還元されてしまうのだろうか?
 人文科学は、もはやその存在意義を失ってしまったのだろうか?
 答えは否である。
いや、人間の本性をすべて遺伝子情報に還元しようとする試み自体が、何が遺伝子に還元しえないかを明らかにする。
 まさにここに、言語、法、貨幣が再び登場するのである。
なぜなら、人間の遺伝子をいくら調べても、その中に言語や法や貨幣を見いだすことはできないからである。
 確かに、DNAには言語を操り、法に従い、貨幣を使う「能力」を生み出す遺伝子が蓄積されている。
最近、人間の言語能力と密接に関連するFOXP2という遺伝子が特定化されている。
人間が道徳意識を遺伝的にもっていることを示す実験結果も多い。
他人の痛みを自分の痛みとして感じるミラーニューロンの発見は、人間は他人と好感する性向を生得的に持っていることを示している。
私たち人間は、まさしく本能として、様々な驚くべき能力をあらかじめ脳の中に書き込まれてこの世に生まれてきているのである。
 だが、ここで重要なことは、言語や法や貨幣それ自体と、それらを駆使しうる「能力」とを区別することだ。
現実にどのような音声や図形の連鎖が言語となるのか、どのような規則や命令が法となるのか、どのような金属片や紙切れが貨幣となるのかは、遺伝子の中に書き込まれているわけではない。
 言語やそれ自体、法それ自体、貨幣それ自体は、生まれたばかりの人間にとっては、社会の中の他の人間によって与えられる「外部」の存在なのである。
それは、遠い歴史のかなたで誕生し、親から子へと伝達される遺伝子とは別途に、人間から人間へと継承され、社会の中に蓄積されて今日に至っている。
言語・法・貨幣ーーそれらは脳の中に存在しているのではない。
脳と脳との「間」、すなわち「社会」の中に存在しているのである。

やさしい経済学 21世紀と文明 岩井克人 より引用

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