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コロナと学校⑳ 言えること 聞いてもらえること

このnoteは、小屋野恵のWEBサイト「アラカンどうでしょう」の過去記事からピックアップ&転載するものです。基本的に表現は当時のままなので、その点お気をつけください。

2020-07-21oyanomegumi

まだ世の中に出ていないので、
詳細は書けませんが、
今作っている本は、
複数の著者となる専門家の方に、
分担して書いて頂いています。

子どもたちの成長を助ける、というような
主旨の本です。

で、
その先生方が異口同音に大切にしているポイント、
この間の木村先生の「みんなの学校」の話、
私をここにつなげてくれた高橋ライチさんの活動、
そして、コロナからこっち、
つまみ食いみたいに参加させて頂いているセミナーの中での話。

さらに
ご相談いただく、
家庭の中のこと、
身近な人間関係のこと、
子育てのこと。

今の私の中で共通しているのは
「自分の気持ちを安心して言えること」
「それをちゃんと聞いてもらえたという実感を持てること」
がキーワードなのかなぁというところ。

ここを突き詰めると、
母としての私は子どもたちに申し訳ない気持ちになるし、
娘としての私は、あの頃の私がかわいそうに思えちゃうし、
まあ、いろいろフクザツなわけですが、
誰もが
「こうしたいんだよね」と
「どうしてもそれはしたくないんだよね」が
ちゃんと言えることって大事なんじゃないか。

そんなこと言うと「みんながそんなこと言い出したらまとまらない」って
必ずそういう意見が出てくるんだけど、
「したいことができる」
「本当にいやなことはしなくてもいい」というだけのことが、
保障されるだけで、場の居心地はずいぶん変わってくるのではないか。

場合によっては「どうしていやなの?」と聞いてみる。
だけど、それは「嫌でも頑張らないとね」につなげるためではなく、
ちゃんと受け止めて、
「見ててもいいよ」「参加しなくてもいいよ」「休んでもいいよ」
と、そこから離れることが保障される。
「したいんだ」ということに対しても、
同じように、全力でサポートが受けられる。

その上で、「みんなで」につなげないと、
結局「みんなで我慢する」になっちゃうんじゃない?
そして、「みんなと我慢」できない人に対して、
風当たりがものすごく強くなっちゃう。

そんなんじゃ大人になれないよ!
そんなんじゃ幸せになれないよ!と
脅かさなくても、
今あるそのままでいいって言われることが
幸せなんじゃないか。

そんなことを感じるようになりました。

ここはもう少し掘り下げていきたいところだなあ。

※2021/06/19追記

この時に作っていた本はこちらです
(漫画が楽しくて子どもといっしょに読める!と好評です(笑))

家庭で育てる 発達が気になる子の実行機能

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