「ライターになる」という言葉について

最近、「ライターになる」という言葉に古めかしさを感じるようになった。
「ライターになる」だなんて、なんだかすごく大仰だ。

すべてを捨てて、ライターの道に分け入るような感じ。
セミナーへ行き、猛勉強して、修行を積んで、稼げるようになって、やっと一人前。
退路を断って、何が何でもライターで食っていくんだ! というような悲壮感さえ感じる。

ライターという職業は素敵なものだと僕自身は思っているけど、そんなに大仰なものではないと思う。そんな大仰なものではなくなった、という表現のほうが正しいかもしれない。

今の感じを正しく言い表そうとすれば、「ライターの仕事を始める」だろうか。
「ライターの仕事を始める」は「ライターになる」とイコールではない。
昔から言われているけど、ライターには免許も資格試験もない。ライターの仕事は誰でも始められる。だから、誰だって始めればいい。そんなに大仰なものじゃない。

これが医者とか不動産業ならそうはいかない。だからライターという仕事は、さまざまな職業の中でもっとも参入障壁が低いものの一つだと思う。実際の現場もそうなりつつある。

たしかにライターだけで食っていこうとしたら「ライターになる」必要があるかもしれないが、ライターがライターの仕事だけで食っていかなきゃいけないなんてルールはない。「ライターになる」という言葉から自由になって、今後さらにライターの数は増えていくと思う。

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