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祖父が医者だった話(あるいは開業医の現代史)

私は祖父母が暮らしていた福岡県糸島市(当時は糸島郡前原町)で生まれたのですが、父が転勤族だったため、糸島にはたまに帰省するくらいで、亡き祖父との思い出は少ないです。ただ今から思うと偏屈なじいさんで、家に遊びに来る野良猫は猫かわいがりしていましたが、孫のわれわれは猫ほどかわいくなかったようです。長姉は幼いころこたつに入っていたところ祖父に、邪魔だったからか黙って脚を蹴られたという話を今でもしきりにします。引退してからも一人でゴルフをたしなむような孤高の人でした。
しかし母は父親である祖父をとても尊敬していました。長姉の思い出とは裏腹に、孫のオシメの面倒なども熱心にしていたそうですし、なにより地元の耳鼻科の開業医として、黙々と働いていた姿が素敵だったようです。学力不足が判明するまでは、母は私を祖父のような医師にさせたかったみたいです。

もう祖父が亡くなって20数年が立ちますが、今でも糸島のタクシーに乗ると運転手さんにに「わたしたちの子供のころはみんな、おじいさんの病院にお世話になってたんですよ」と話しかけられ、孫の私も誇りに思います。当時は糸島郡に1,2件しか耳鼻科がなかったそうで、開業時は看板を立てかけただけで十数人の患者さんが並んでいたそうです。最近、野村望東尼が流罪になった孤島・姫島を見に行ったのですが、母いわく、姫島の海女さんたちも一日がかりで祖父の病院に耳(素潜りをすると痛めるのでしょうか)の治療に訪れていたといいます。患者は列は絶えず、祖父はひたすら寡黙に、彼らを治療していたのでしょう。私も幼いころ扁桃炎の治療をしてもらったことがありますが、祖父の腕を思わずつかむほどの激痛でしたが、嘘のように扁桃炎は治りました。名医だったのでしょう。

クリニックは腕が立てば、人は集まる時代でした。マーケティングなんて発想自体なかったのでしょう。偏屈だろうがなんだろうが、クライアント志向なんてなかった。

ここまでが高度成長時代の日本、および祖父の話です。

いま、人口減少時代を迎え、国は医療費を抑制しているし、クリニックは過当競争になっています。糸島の国道沿いには何件もクリニックがあります。アメリカなど諸外国と比べて、日本のクリニックは広告に規制がありますが、個人的には医師のマーケティングマインドが不足している気がします。腕も立ち、患者さんとのコミュニケーションも上手なうえで、経営者としてクリニックを運営する能力が問われています。私個人は今の時代でも祖父ほどの腕が立ち勤勉な医師ならばやっていけると思いますけれども、当時のように大繁盛というわけにはいかないでしょう。加えて後継者問題もある。息子や婿がよしわかったとクリニックを継いでくれるかどうかなんて、自由意志の時代ではわかりません。

そして3年にわたるコロナ禍でクリニックの経営はひっ迫しています。発熱外来で患者減をカバーしているクリニックもありますが、クラスターになりやすいクリニックという場所は敬遠されがちです。患者数はもうコロナ以前には戻らないといわれています。
診療科別でもっともコロナ・ショックを受けたクリニックはどこでしょう。ほかでもない耳鼻咽喉科です。なぜならみんなマスクをして、手指消毒を徹底したおかげで、花粉症やら風邪などの症状が激減したから。それはもちろん喜ぶべきことですが、耳鼻咽喉科クリニックにとっては死活問題です。

ここで、あれって思われる方もいると思います。現在は高齢化社会、お年寄りがたくさんいます。難聴、嚥下えんげ障害(食べ物をうまく飲み込めない)、めまいなんていった高齢者の病気は耳鼻咽喉科の守備範囲です。儲かってんじゃないの?と考えられて当然です。
ところが今までの耳鼻咽喉科クリニックは、高齢者は(語弊がありますが)めんどくさくて対応してこなかった。それでも十分食べていけたのです。しかしこれからは、言語聴覚士や補聴器メーカーと連携したり、お年寄りの話をよく聞いてあげたりして、これらの領域を取り込んでいかなければなりません。

人生100年時代、QOL(クオリティ・オブ・ライフ、人生の質の向上)がなければ、長生きしていてもつまらないですよね。耳鼻咽喉科をはじめ、クリニックの役割はむしろ大きくなると思うのです。

祖父が医者だったこともあり、医師国家試験予備校の職員だったこともあって、周囲には医者家族が多いです。でも結構大変ですよ。医者。プライドが高い人ほど医者というステイタスに憧れますが、学力が追い付かず、プレッシャーがもとで事件を起こしたり、鬱になったり、自殺してしまった人も知っています。超エリート大医学部を卒業した人が、研究所でも、病院でも、開業医としてもプライドが邪魔してうまくいかず、予備校の先生をしている人もいます。予備校の先生が悪いと言っているのではなく、本人のプライドがまったく満たされていないのです。

医者が天職だという人もたくさん知っています。しかしそれは現代では、腕が立ち、DXなどの最新の情報と知識を持ち、コミュニケーションが取れ、経営マインドを持った人のことを指します。いまだに「逆転勝利」を目指して医者を目指す人とか、それをからかう動画番組とかを目にしますが、すごく危険なことだと思うのです。

例によって大脱線してしまいました。でも祖父は、それでいて医者という立場に驕ることはない人でした。いつの時代も、どんな立場でも謙虚さが大切ですね。

おしまい。

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