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大日本帝国は大陸に進出しなくても発展できたか

ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』で一躍スターダムに躍り出た歴史学者だが、「疫病」「戦争」「飢餓」という人類史において常に付きまとってきた災難が、いずれ無くなると予言するなど、私個人は評価できない学者である(関連記事参照)。ご存じの通り、予言直後にコロナウイルスによる世界的な疫病が発生し、ウクライナで戦争が勃発し、飢餓も国連目標の2030年までの撲滅は難しいように思える。

2018年に発表した『21 Lessons』でも、

ロシアは、(中略)物理的な征服のグローバルな作戦にも乗り出そうとしているなどということはありそうにない。クリミアの併合と、ジョージアやウクライナ東部への侵入は、新しい戦争の時代の前触れではなく、例外的な出来事であり続けることを願っても、そこそこ妥当だろう。

p232

と予言して、外している。

ただ、11章「戦争―人間の愚かさをけっして過小評価してはならない」の大日本帝国についての分析は、興味深いものがある。「愚者の行進」という項目でハラリは、

ドイツとイタリアと日本は、軍隊が完全に壊滅し、帝国もすっかり崩壊してから二〇年後、前例のないレベルで豊かさを享受していた。それならばなぜ、彼らはそもそも戦争を起こしたのか?なぜ膨大な数の人々に不要な死と破壊をもたらしたのか?すべてはばかげた計算違いに過ぎなかった。一九三〇年代に日本の将軍や提督、経済学者、ジャーナリストたちは、朝鮮半島と満洲と中国沿岸部の支配権を失えば、日本は経済が停滞する運命にあるという意見が一致した。だが、彼ら全員が間違っていた。じつは、名高い日本経済の奇跡は、大陸にもっていた領土すべてをすべて失った後に、ようやく始まったのだ。

P236

と指摘しているのだ。

「人間の愚かさは、歴史を動かすきわめて重要な要因なのだが、過小評価されがちだ」とハラリは述べる。


大日本帝国の最大勢力版図



大日本帝国における愚かさは、対米戦争に踏み切るかを議論した1941年11月1日の参謀部による連絡会議に表象されている。
出席した永野修身ながのおさみ軍司令部総長は大要、戦局の見通しについて、日露戦争のような決戦は起こらず長期戦と化し、勝敗は形而上下の国家総力と国際環境によって決まると説明している。つまり精神力と神頼みしかないことになる。そして(アメリカの禁輸によって石油が枯渇する)2年後は「不明」と繰り返すのみで、それ以降の見込みを語ることはなかった。

歴史学者の森山優氏は「総帥部の長として、正直とはいえ無責任な態度であり、とても戦争を有利とする判断の根拠にはなりそうもない」のにも関わらず「実際は永野の主張通りに、日本は開戦へと突き進んだ。なぜだろうか」と疑問を呈す。
森山氏は「対米開戦を、我々とは異質な思考様式を持つ者たちによる愚かな選択と、単純に片付けるのは難しい」と結論づける。しかし2年後以降の見通しの直前で思考を停止し、未来像の中に閉じこもってしまった首脳部の「愚かさ」は否定しがたい。

東郷茂徳外相以外の出席メンバーは「大陸権益を喪えば日本は三等国になる」という共通認識を持っていた。しかし実際には、ハラリや森山氏が指摘するように、敗戦によってすべての植民地と大陸利権を喪い、中国の共産化によって豊かな市場と原材料供給地を喪ったあとに、日本は未曽有の経済発展を遂げたのである。

いずれ述べることになると思うが、経済的な要因だけでなく安全保障上の必要性に駆られたという切実な事情もあるだろう。しかし「満蒙は日本の生命線」というスローガンのもとに作られた軍部から経済学者、ジャーナリスト、国民にまで及ぶ大亜細亜主義という共通認識が、そもそも誤っていた、という仮説が成り立つ。そして結局それは、合理的なものでもなんでもなく、愚かさによるものだったと、苦痛を伴いながらも結論づけることができるように思う。

参考文献
ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』『21 Lessons』
森山優「「南進」と対米開戦」(山内昌之・細谷雄一編著『日本近現代講義』)

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