ざっくり南仏の旅
2010年3月にフランス一周の旅に出た。といってもバスツアーに参加しただけだが。残ってる写真を頼りに、思い出をつづりたいと思う。前編はニース、アルル、アヴィニョン、リヨンの旅。
ニース
成田からパリのシャルルドゴール空港に着き、そこからあわただしく乗り換えて向かったのは、地中海に面したリゾート地、ニース。実はニースはそもそも避寒地なのであって、決して3月はシーズンオフではない。ところが着陸時に見えてきたのは、雪を頂いた山々。ニース市街でも2週間前には数センチの雪が積もっていたのだそう。着いてみると日陰はやや寒いが、まあ普通の陽気。
向ったのは有名なシャガール美術館、ではなく、定休日だったので、代わりにジュール・シェレ美術館に行った。この美術館はもとは19世紀のウクライナ貴族の冬期の別荘だったそう。ウクライナ寒いもんね、仕方ないね。
ジュール・シェレ(1836-1932)はロートレックなどに影響を及ぼしたポスター画家で、『ムーラン・ルージュの舞踏会』など陽気な作品で知られる。館内はシェレはもちろん、中世キリスト教の教示画からロダンの彫刻、ブーダン、デュフィまでさまざまだった。
私の好きなフランス映画の一つ、ジャン・ベッケル監督『画家と庭師とカンパーニュ』では、フランスの国鉄を引退した庭師の爺さんが、もう何十年もバカンスはニースに決めている。といっても奥さんと「プロムナード・デザングレ」(英国人の散歩道)を往復するだけだ。と言っていた。有名だけれども退屈な観光地を想像していたのだが、本当に海岸に舗装されたただの歩道だった。といっても3.5キロもあるんだからすごいといえばすごいね。これも有名だけどニースの海岸は砂利であんまり夏のバカンスには向いていない。いっぱい観光客が来るそうだけど。
ヨーロッパの伝統的な都市には必ず旧市街区がある。市庁舎や裁判所もあるが、どれも歴史を感じさせる壮麗な建物で、旧市街区の石造りの街並みとフィットしている。
市庁舎前には色とりどりの果物や野菜が並べられた市場が開いていた。ひょっとしたら観光客向けかもしれないが。
喫茶店の前に座っている犬を連れたオヤジまでなんか雰囲気があった。
写真が見当たらないのだが、シミエの丘から望む美しいニースの街並みを見た。庭内には名もなき修道院があって、礼拝堂の内部は静寂と暗闇の中、天井の宗教画がほのかに照らされている。ヨーロッパの宗教建築への最初の畏敬を感じた。
半日でニースを発った。
アルル
ゴッホ。誰に対しても、何に対しても癇癪を起し、恋愛や宗教、勉学に執念を燃やしては挫折する。その彼が27歳になって絵筆を執り、狂ったように描き続け、そして37歳で「みんなのことを思って」自殺する。その激情と波乱の人生には唖然とする。社会的な成功も精神病の治癒も諦め、絵画にすべてをかけなければ、あの色彩を手に入れられなかった悲劇。と同時に、彼に絵画の天賦の才があったことは、かけがえのない救いだっただろう。
審美眼に欠ける私であるが、それでもゴッホの絵画には圧倒させられる。南仏の穏やかな夕暮れの麦畑でさえも、ゴッホにかかればあんなにもねじ曲がって、不安で、不吉に見えるのか。私はゴッホの絵に、ゴッホ自身を感じる。
というわけで最初に向ったのは、あのアルルの跳ね橋である。と思ったら、直前にこの跳ね橋はレプリカで、場所も当時とは違うと教えられた。がっかりしたが、写生に来ていた地元の生徒たちを見ていると、それはそれで絵になった。
というわけで、次に向った『夜のカフェテラス』も、場所は合っているけれども、壁が黄色く塗りたくられ、ゴッホの絵のまばゆい光を再現しようとしているのが、なかなか無粋だ。
かといってアルルの街に失望したのではない。むしろ今回のフランス旅行で、もっとも感銘を受けた。アルルはローマ時代の大都市(一時は西ローマ帝国の首都にも)であり、中世を経て現代まで栄えている歴史ある街なのだ。アルルを「ゴッホの街」とくくるのはもったいない。
例えばゴッホもなんどもデッサンに訪れたというローマ時代の円形闘技場が見事にそのまま残っている。
感動したのは市庁舎前の広場だった。ローマ時代の記念碑、中世の聖堂、近代の市庁舎が、時代を超越して同居している。広場では少年たちがサッカーに興じている。聖堂に入ると、ひとりの少年が僧侶に指導のもとオルガンの練習をしている。すっかり歴史の重みに思いをふけってしまった。
旧市街の街並みも趣があるが、車が大変そう。
というわけで、これまた数時間でアルルを去り、ローヌ川を北上する。
ポン・デュ・ガール
南仏はローマ時代の遺跡も少なからず残っている。アヴィニョンへの途上に、ポン・デュ・ガールがあった。思想のギリシャ、実用のローマと習ったような習ってないような気がするが、ローマはインフラ整備に優れ、例えばローマの公道は、現代のヨーロッパの高速道路網をしのぐといわれている。
やっぱり壮大だな、ポン・デュ・ガールと思いつつ、ローヌ川を眺めていたら、とてものどかな風景が広がっていた。朝の冷気を吸いながら、すっかり清々しい気分に浸った。
アヴィニョン
大シスマ。世界史で習ったなあ。1387年から1417年までの間、教皇がローマと、ここアヴィニョンに並び立つ事態が生じる。
童謡「アヴィニョンの橋の上で」で有名なサンベネゼ橋を望み、アヴィニョン市街地へ入る。
ローマと覇を競った教皇庁にしては、壮大だけれども荘厳でも華麗でもない。ともかく装飾はすべてはげ落ちて、建物がそのまま残るだけである。フランス革命では装飾を削られ、聖者の彫刻も顔を削がれている。ローマに行きたかったなあと思う人もいるかもしれない。だが、歴史に思いを馳せるには十分な遺跡であった。
趣のある旧市街を抜けて、再び北上。街の真ん中にメリーゴーランドが必ずあるのは、フランスの街のお約束なのか。
リヨン
フールヴィエールの丘をのぼり、サン・ジャン大教会へ。ヨーロッパの教会のスケールに圧倒される。それにしても大都会だ、と思ったら50万都市だから、いかにフランスは農村中心なのかがわかる。
ざっくり南仏の旅、終わり。
(フランス北部の旅に続く)。
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