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オススメの本100冊(感想文付き)〈文学Ⅲ〉

※専門書は除いています。
※ややネタバレありです。

【21】ジョン・アーヴィング『ホテル・ニューハンプシャー』

年老いた熊の死から始まる家族の歴史は、それが暗示するかのごとく、不吉さと悲運に覆われる。父はホテルという未来に、長女はレイプという過去に縛られている。ゲイの長男、姉を愛する次男、小さすぎる次女、難聴の三男と、なんらかの欠落を抱えながらも、生きる。父は年老い、視力を失いながらも、ホテルという幻影を追い続ける。長女は犯人への復讐を果たしながらも過去からは決別できない。運命の力強さと、運命に抗しようとする家族の力強さの両方に心を打たれる。


【22】ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』

「われわれは神の道具である」という著者の信念がこの小説の根底を為している。神が人を使い、愛する人を奪うことがあっても、人が神に祈り、運命が思い通りになることはない。神の道具であるからこそ、あらゆるものに意味がある。人だけではない。野球ボールにも、アルマジロの剥製の爪にも、ばかげたバスケットボールの遊びにも。物語としても数々のエピソードが結末に見事に収斂されていて、面白い。


【23】村上春樹『アフターダーク』

『海辺のカフカ』が父子の物語だとすると、この作品は姉妹の物語だ。だがこの小説を単純にボーイ・ミーツ・ガールの小説として読むと、とても面白い。とりわけマリという女の子が魅力的だ。自分のささやかな空間を大切にし、入ってくる人間に対して警戒してしまうような繊細さ。そんなマリの空間に静かにノックして入ってくる高橋との会話もほほえましい。 この小説で一番秀でていると思うのはエンディングだ。「きみはとても綺麗だよ。そのことは知ってた?」と問う高橋。マリは落ち着くためにスニーカーが汚れていないかを確認する。素敵だ。


【24】村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』

この小説の下敷きはいうまでも父殺しの「オイディプス神話」である。しかし村上春樹はなぜこうも執拗に「殺し」を書くのだろうか。そしてそれを直接的ではなく、メタファーとして書くのだろうか。 村上春樹は自身、あるいは多くの人間が、潜在的に暴力や殺しへの欲望を持っていて、それを現実の世界でどうにか押しとどめているということを示そうとしているだろうか。


【25】村上春樹『ノルウェイの森』

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という「教訓」が小説の序盤と終盤に二度記されていていて、この小説のストーリーはこのテーマを見事に例証している。キズキも、直子も、ハツミさんも、整然と死を受け入れる。 死は生を受けたときから、萌芽をはらんでいる。生か死かではなく、生きながらも、死へといざなわれている。それを川の流れに逆らうボートのごとく、生き続けなければならない。そこにこの小説の無常観の理由があるように思う。


【26】村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』

現実感を喪失し、自己を喪失している人間にとって、リアルで生き生きとした人間や出来事との交わりこそが、「現実性の回復をとおしての自己の回復」にとって大事である。この小説ではとにかくステップを踏み、現実を生き、そしてユミヨシさんという現実にたどり着く。とにかく社会とのコミットメントに努めることで、現実感を取り戻すという結論を、村上春樹はこの作品で得たのかもしれない。


【27】アンナ・バーンズ『ミルクマン』

コミュニティの分裂状態や頑迷な道徳観、無秩序によりがんじがらめになっているティーンエイジの少女の頭の中が手に取るように分かって面白かった。テーマを北アイルランドという特殊性としてとらえても、ティーンエジジャーの社会に対する反感という普遍性ととらえても興味深い。主人公の一人称で一気に400ページ語ってしまう文体とパワーにも脱帽。読破するのがだいぶしんどかったにせよ。


【28】カート・ヴォネガット『タイタンの妖女』

「人生の目的は、どこのだれがそれを操っているにせよ、手近にいて愛されるのを待っているだれかを愛することだ」。ヴォネガットの主人公は(あるいは登場人物みんなは)、愚かで、弱く、しかし根底のところで人を信じている。とても人間らしさについて考えさせられる。もちろん、ユーモアの豊富さ、SFとしての面白さも白眉。


【29】カート・ヴォネガット『母なる夜』

ナチスとアメリカの二重スパイだった男が、時代に翻弄される悲劇を描く。
作者は「表向きに装っているものこそ、われわれの実体にほかならない。だから、われわれはなにのふりをするか、あらかじめ慎重に考えなければならない」という教訓を見出している。全体主義に仕えるのか、民主主義につかえるのか、自分の実体を慎重に表明しなかった男の悲劇ということだろうか。
しかしもっと掘り下げると、「愛」や「善」を拠り所に主体性に従って生きよという教訓が得られるように思う。好奇心以外に拠り所がなくなった主人公は、結局死を選ぶのである。

【30】カート・ヴォネガット『スローターハウス5』

記憶の錯綜はまさに戦争トラウマ。思い出したくもないのに何度もフラッシュバックし、腰を落ち着けて向かい合おうとするとたちまち空想の世界に飛んで行ってしまう。そのつらさ、哀しさが、異星人に時空を操られているという設定で見事に描かれている。死んだ人間にとっても、生き残った人間にとっても、戦争は無慈悲だ▼氷河期の訪れか宇宙人の仕業かわからないが、どうせ戦争はなくならないという一方の主張を掲げながら、それでも戦争の記憶に向き合うという姿勢を通じて、反戦のメッセージが込められていると思う。

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