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中国・浙江省のおもいでvol,11

『沈黙の温度』

  「少しでも文学をかじった男どもはすぐに、やれ物書きだ・やれ文豪だと騒ぎ立てるんだから。食べてくのもままならない貧乏作家になるのがおちだね」寝起きにしてはやけに饒舌なフェイの毒舌が、胸にチクチクと刺さる。

 「私がテストしてあげるよ!太一が小説家になれるかどうかね」

 Oはベンチで高らかないびきをあげ、ぼく・フェイ・Oの順に岸辺の階段に腰掛け、水面に足をちゃぷちゃぷさせていた。Oが水をフェイのスネ辺りにかけ口を挟む。

「おいおい、寝たふりでぼくら文士の語る夢を盗み聞きかい?君の夢を聞かないうちには意見はご無用だね」

 フェイもそうだが中国人にはオブラートというものが存在しない。男だろうが、女だろうが、からかう時も真剣勝負だ。

「私は太一に聞いてるんだからだまってて欲しいね!」

「まあまま、ぼくもフェイの夢を聞いてみたいな」

 ぼくにはなぜか当たりの弱いフェイは、しぶしぶ答えた。

「教授だよ。教授。」

 ワンは「そりゃあ僕らと変わらないね!貧乏ポスドク(非常勤講師)こそ君にお似合いさ」と笑っていたが、ぼくはちっとも笑えなかった。

 まだ霞の濃い日中の湖上で、彼女の父が、非常勤講師の薄給による激務から、過労死したことを聞かされていたからだ。ましてや大国・中国の研究者だ。突出した成果を上げたとしても、正規の教授として安定した収入とポストが得られる確証はない。一番近くで父親の苦しみを見てきた彼女のことだ。その眼には決意が宿っていた。

 「それじゃあ、テストね!君は結婚についてどう考える?」

 ぼくは質問の意図をつかみかね、面食らっていた。彼女とは腹を割っては話した仲だし、適当な答えで誤魔化したくなかった。少し考えて答えた。

 「結婚に関して良いイメージを持ったことはないよ。どうしても結婚=所有にしか思えないんだ。好きな人と一緒に入れるならそれでいいじゃない。男は平気で奥さんに手をあげて、決まってこういうんだ。誰が養ってやってるんだ、ってね。女は旦那の愚痴ばかり。いい旦那ってのは、まるで奴隷みたいに感じるね。挙句の果てに男も女も不倫や浮気を平気でする。結婚しなきゃいいんだ。子供も作らなくていい。」

 フェイはぼくの目を見つめながらゆっくりと聞いていた。彼女は答えられないことには無理にこたえようとしない。ただただ「聴く」。それは心地よく、心から安心できる空間。ワンも黙って聞いている。

 「それは私もよく考えるよ。小さなころから働き詰めだった両親に言ってやりたかった。まともに育てられないならなんで子供なんか産むんだって。ほかの家庭みたいに仕事を手伝わされたり、暴力を振るわれたりすることもなかった。その代わり、3食一人で食べてた。両親が帰ってくるまで起きてられなかった悔しさは今でも忘れない。家族を作ることが犠牲者を作るなら、作らなければいい。だから、一人っ子政策にも私は賛成なの」。

 今度はぼくがうつむく番だった。解決できないことや救いのない話。口を開こうとして、やめた。言葉が役にたたないこともあることを知った。それは温かな沈黙だった。(『中国・浙江省のおもいでvol,11「沈黙の温度」)



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