見出し画像

【エッセイ】電源を切る


ぼくはよく電源を切る。そんなの当たり前じゃないか?と言われそうだが、、

電子機器の電源は切れているようで切れていない。

スマホは、電波が入っている限り、容赦なく通知が届く。家電は、特に冷蔵庫なんかは、閉じていても「ブーン」と低くくぐもった音を放ち、リビングでの存在感たっぷりなのである。

だから、アイホンの電源は、わずかに残った突起部分を長押しして、電源を完璧に落とし、ただの薄っぺらい金属にしてしまう。(完璧にっていうところが重要)

冷蔵庫は、日持ちするものを入れずに、電源を落とし、引き出しがたくさんついた、戸棚にしてしまう。

すると、静寂が戻ってくる。あの、感覚がとてもいい。どういいのと言われても例えようがないのだが、もとある状態に戻るような、忘れていたものを取り戻す感覚のような、、

繋がり続けている状態から解放される。

あとは銘々に好きなことをやったらいい。

電話がかかってきても、「現在電話に出ることができません」と、馴染みの声の女性が、自分の代わりに相手に告げてくれる。

既読に悩まされることもない。

ついつい見過ぎてしまうSNSだって、電源が切れているんだもの、しばらくすると、「そんなに見たいものだったっけ」と洗脳から回復される。

あなたへのオススメに惑わされることもない。

そんなことを習慣にしています。

帰宅すると、電源を落とす。学生なら、よほどのことがない限り、必要な連絡ってないし、社会人なら、仕事が終われば、連絡の必要性がなくなる。責任のある仕事の方は、電源を切らないまでも、緊急は電話にと断っておけばいい。(週に一度、電源切るだけでもだいぶ変わる)

ぼくの場合は

最初に「とても眠かったこと」に気づいた。体は自分で思っている以上に睡眠を求めている。

次は「ゆっくりとお風呂に入りたかったこと」に気づいた。体を隅々まで洗って、湯船にゆっくりと浸かる。

時間に追われているから、入浴中も無駄にしたくない。そんな気持ちが大きいので、以前は、風呂に文庫本を持ち込んでいた。ちっとも内容が入らず、文字をインプットするだけの義務的な読書になっていた。

電源を切るだけで、「やりたかったことに気づく」

電源を切った余暇のおかげで、あまり書かないエッセイを書くことができました。


date 2020年7月15日

title『電源を切る』

✒️taiti


この記事が参加している募集

習慣にしていること

貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。