見出し画像

アルケミスト~夢を旅した少年~(夢を忘れないための手紙)

毎日の中に永遠があるんだ。

「夢」それは、なんともいえない不思議な香りのする「言葉」。僕にとっては「夢」は20数年間辛い単語でしあありませんでした。「夢」を持ちましょうと学校で教わり、周りの生徒が夢中になって「夢」を追いかけて輝いている中、ずっと「夢」を持てずにいたからです。いったいどこに「夢」はあるんだろう。『アルケミスト』は「夢のありかの見つけ方」を暗示したような作品です。まるで、自分に向けて書かれた手紙のように食い入るように読みました。本書の言葉の1つ1つを忘れないために、感想と(微々たる)考察を残しておきたいと思います。

あらすじ

羊飼いの少年サンチャゴは「旅をすること」だった。貧しい農家の生まれの彼は、神学校(エリートコース)を中退して、父の金で羊を買って旅をする夢を叶えた。少年は自分の見る不思議な夢のおつげを聞きに訪れた街で、老い、みすぼらしい王子によって少年の宝物はエジプトのピラミッドにあることを告げられる。少年は考えた末に、慣れ親しんだ全てと決別し宝物を探す旅に出た。
エジプトに入るのは簡単だったが、ピラミッドへ行くには砂漠を超える必要があった。少年は案内人に騙され全財産を失い、働かなくてはならなくなる。1年をかけて商売を続けた少年の手元には再びお金があり、ピラミッドを目指す意志が芽生えていた。今度はキャラバンによって砂漠を渡ってゆく。
砂漠では調度、部族間での戦争が勃発しており、少年たちキャラバンの人々の命の補償はなくなっていた。やっとの思いでオアシスにたどり着くと、そこには少年の妻となる運命の人と出会う。そのオアシスには錬金術師が住んでおり、少年を宝物へと案内する人間であった。
少年はオアシスに訪れる危機を予言し、オアシスの名誉ある相談役としての地位を得る。全てを手に入れた少年のもとに錬金術師が現れる。少年は再び全てを手放して宝物を探す旅を始める。すぐに砂漠の抗争に巻き込まれ、相談役としての実力を見せろと脅迫される。少年は風になることで、信じれば何にでもなれるということを証明した。
ついにピラミッドにたどり着くと、強盗に襲われ再び襲われる。強盗もさったピラミッドの麓に宝物は隠されていた。宝物は少年が繰り返し夢をみた古い教会の木の下にあると書かれていた。
砂漠を戻り、海を渡り、教会を探り当てると、少年は一生尽きぬ程の財宝を手に入れた。少年は再び砂漠のオアシスへ向かう。少年を待つ恋人の元へ。

夢を生きる

最も大切なことは、少年が日々、自分の夢を生きることができることだった。-夢が実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろいのだ

日々やりたくないことをやっている。そんな人がどれだけいるか分かりません。ぼくも、そんな時期をずっと抱えていました。本文を読んだとき、日々自分の夢を生きることが出来たらどれだけいいだろうと思ってしまったんです。それでも、生活もあるし、やらなければならないことがたくさんあって、とてもではないけど、そんな風には生きれない。それが本文を読んだ時点での率直な感想でした。

世界最大のうそ

人は人生のある時点で、自分におこってくることをコントロールできなくなり、宿命によって支配されてしまうーそれが世界最大のうそじゃよ

 家業を継がなけれればならない、子供がいる、夫(妻)がいる、お金を稼がなければならない…様々な理由が夢を諦めるために使われているのではないかと思う。だから自分の夢を追うことを諦めた人たちが夢を追っている人に対して「無責任だ」「地に足がついてない」ち批判する。本当に夢を叶えた人が夢を追求する人に対して、そんな言葉を投げかけるだろうか。

大切なの他人かの目線なのか?

結局、人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ。

夢や運命を妨げる原因、それは他人がどう思うかということなのかも知れません。自分のたった一度きりの人生なのになんでそんなことで、諦めてしまうんだろう…。それでも「他人にどう思われるか」を気にせずにはいられないのが人間じゃないかなぁと感じます。結局は本当の自分よりも、誰かにとっての自分が大事になってしまう、これが夢を諦める原因じゃないかと思うのです。

太陽が昇るという奇跡

毎日が次の日と同じだということは、太陽が昇るというような、毎日起こっているすばらしいことに、気がつかないからなのだ。

 予定調和のなされた世界。「安定」や「安心」が奪うものが「幸せ」だという意味でしょうか。「家続がいること」「黙っていてもご飯が食べれること」「教育が受けられること」それら全て、「当たり前なんかない」ということを無視するから不幸になって行くんだと感じました。

選択

自分を縛っているのは自分だけだった。

「選択」すること。今日何をするか、誰と会うか、どこへ行くか。全て自分が「選択」していることになかなか気付くことができない。少年が出会う不幸なものたちは、自分が夢を捨てた理由をあらゆる言葉で責任転嫁しようとします。「もうそんな年じゃないから」「子供がいるから」「私には勇気がなかったから」本当は「やろうと思えば出来る事」をしないための言い訳なんです。

「僕は他の人と同じなんだ。本当に起こっていることではなく、自分が見たいように世の中を見ていたのだ。」

 人は見たいように見て、聞きたいように聞く。だから都合のいいようにしか捉えられない…。グサグサと刺さる言葉ですが、そのとおりなのかもしれません。「あの人はお金を持っているから幸せだ」「あの人は容姿がいいから悩みもないだろう」「あの人はいつも笑顔だから幸せそうだ」。そうなんです。ぼくらは主観で判断する生き物だから。定規で図れるものなんて本当は何もないことを、ぼくらは忘れてしまいがち。

それは書かれている

マクトゥーブ=『それは書かれている』

 自分にとって一番大切なものは、いつも視界に入っているということです。裏を返せば、見えない・分からないものに対して、大切なものはないということではないでしょうか。日々の中で思ったり、感じたりすること。そこに「宝物」は含まれているのかも知れません。ぼくは、この言葉で夢を再認識することができました。大切なものは自分の心の一番中心にあったからです。

決心

決心するということは、単に始まりにすぎないー急流に飛び込んで、その時には夢にも思わなかった場所に連れてゆかれるようなものなのだ。

 決心。「こうしよう」「こう生きよう」はすぐに薄れてゆくということ。少年の決心は「それまでの環境をかなぐり捨てる」ということでした。新たな決心の前に「これまで」を持ち込むスペースはない。「これまで」を自分から切り離すことでしか「新たな決心」を迎え入れることはできないのではと感じました。

大いなる魂

「君が何かを全力全霊で欲した時、君はその『大いなる魂』と最も近い場所にいる。それはいつも、前向きな力として働くのだ。」

 「本当はこんなことしたくないのに」僕の人生もそればかりでした。だからいつも、苦しく辛い思いでいっぱいでした。結果が出た時の嬉しさは少なく結果のでない時の悔しさも少なかったのです。感情が死んでゆく、本書でいうところの「魂」が死ぬこと、そんな状態が長く続いていました。「したくないこと」をしている時、「心(魂)から最も離れた場所」にいるのかも知れません。

単純と複雑の間で

彼らはなぜものごとをそんなに複雑にしてしまうのですか?

 とはいっても…・それでも…が物事を難しく複雑にする。考えても考えても答えのないこと、それは既に答えが出てるのに、そこから目を背けようとしているだけなのかも。

もし常に今に心を集中していれば、幸せになれます。-なぜなら、人生は私たちが今生きているこの瞬間だからです。

 過去と未来。それぞれ性質は異なるのかもしれませんが、形を変えられることができる点は、共通しているのかもしれません。未来を想像してみたり、過去の記憶を美化してみたり。形を変えられないのは「今この瞬間」だけなんです。今をより良く生きること、それこそ幸せの源泉だと感じるのです。

愛について

彼は世界中で話されていることばの最も重要な部分ー地球上のすべての人が心で理解できることばー愛を理解した。

 赤ちゃんはお母さんの「愛」を受け取る時に「言葉」を必要としないように、ぼくらも愛を受け取ったり、与えるのに「言葉」なんていらないのかもしれません。時には「笑顔」だったり「ハグ」だったり、「キス」「花束」「なにげない瞬間」に「愛」を感じることができるのではと思います。「言葉」はむしろ、「愛」を損なってしまうのかもしれません。

何が何でも

人がなにかを望む時、全宇宙が協力をして、夢を実現するのを助けるのだ

 スピリチュアルな言葉ですが、望まないことには始まらないのも確か。夢を実現するとき(夢を実現しようとしてるひと)には「何が何でも」という思いがあると思う。だから、自分のなかにある「何が何でも」を探すことが、夢の実現への第一歩なのではないかと感じるのです。

心のありか

心が言わねばならないことを聴き続けなさい。お前の心がある所が、お前が宝物を見つける場所だからだ。

心を殺す。だから身体も壊れるんだと思います。自分の外見や、世間的に見た自分、他人から見た自分ではなく、内面に向き合うこと。それはとても大切なことに感じました。

毎日とは何か

夢を追求する一瞬一瞬が神との出会いだー僕が真剣に宝物を探している時、毎日が輝いてる。一瞬一瞬が宝物を見つけるという夢の一部だと知っているからだ。本気で宝物を探している時には、僕はその途中でたくさんのもを発見したか

見つける事、それが重要なことではないなと思う。探しているとき、探している瞬間。それこそが幸せなのかなとさえ感じるのです。

世界の見え方

ほとんどの人は、世界を恐ろしい場所だと思っています。そして、そう思うことによって、世界は本当に恐ろし場所に変わっていくのです。

「他人は信用できない」そうすれば、騙されて傷ついたり、裏切ることはあっても裏切られることはなくなるかもしれない…。そのかわり、誰かの親切を受け取ることもなくなる。

でも、見方ひとつで世界が変わるのなら、それは幸せな世界だなぁと見たい。自分の力の及ぶ範囲から幸せにしていきたい。「世界」は作るものではないかなぁと感じました。

追うものの苦しみ

夢を追い続けることが一番苦しいこと

 夢はそうそう簡単に実現するものではないのかもしれません。ぼくの夢もそうです。「読む人の心に残る物語を書く」正直、実現するかどうか分かりません。沢山の人が読んだから、売れたからで図れるような夢ではないから…。

 それでも、と思うのです。「それでも書きたい」だからこそやりがいがあるんだと感じます。

足枷

他の者の運命を邪魔する者は、自分の運命を決して発見しはしない。

 他人を妬ましく思ったり、腹を立てる。それは自分に足枷をするようなものだと解釈しました。自分の夢の実現に、他人の夢は関係のないことだから。

 

失敗の本質

夢の実現を不可能にするものが、たった一つだけある。それは失敗するのではないかという恐だ。

本当の失敗は、夢から逃げることだと思います。例え、実現しなかったとしても、逃げた後悔を抱えて死ぬこと。それが失敗だなぁと感じるのです。たった一度きりの人生。夢を求めて生きることを決意しました。

まとめ

「まるで手紙だ」そう思った。大学卒業まで1年。人生の分岐路。夢だけじゃ生きていけない。そう諦めていた。

 ただ、自分は「何のために生きるのか」を考えたとき、いつも同じ場所に辿り着くことに気づきました。

 「読む人の心に残る小説を書きたい」それが自分の唯一の願いだったからです。そこには、どんな言い訳も通用しない。理屈のない根拠みたいなものがありました。

 『アルケミスト』それは、すべての人に向けて書かれた手紙のような作品です。夢を諦めた人。夢を見つけられない人。夢を捨てようか迷っている全ての人の手にとってもらいたい作品。それが『アルケミスト』です。

 『アルケミスト』を超える小説。それを書きたい。心から思った一冊でした。


       言葉が人を癒す   taiti



この記事が参加している募集

貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。