そもそも学校とは

これはちょっとひどいです。
・検診と給食費の徴収を役所で
生徒が何万人いると思ってるんだ…役所の建物の大きさ見てみろよ。あの建物ひとつに入る職員数でこなせる対象人数じゃないよ。

・演劇鑑賞、旅行を家で
そんなことできる余裕のある家がどれだけあると。経済的な面と時間的な面、家庭文化もある。

・交通安全教室を警察で
だから対象の生徒数が多すぎる。警察が忙殺されて治安維持できなくなる。てかそれこそ警察本来の仕事じゃないよ。

・進路指導を家で
最後に決めるのは本人と保護者だろうけど学校が情報提供しなければ何を材料に判断しろと。進学先の情報と生徒の成績、学習状況の両方を知ってるのは学校だけなんだが。

・運動会を体育参観日に
運動会自体をなくせっていう話になってくる。学校行事で何をすべきかは議論の余地がある。

・水泳や習字は希望なら習いに行って
水泳は体育のひとつ、書写は国語のひとつ。体育の授業では跳び箱もマット運動も鉄棒もサッカーもバスケもバレーもやるが、なぜ水泳だけ除外するのだろう。

逆にこの人は学校でやるべきことは何だと思ってるんだろう。勉強だけ?勉強もお金さえあれば塾でできるって話になる。
要するに勉強も体育も交通安全も社会体験も進路指導もトータルで万民に提供してるのが学校なわけで、教職員が激務すぎるのはそれとは別の問題なんだよ。
上にあげたような業務は、教員楽勝時代からあった業務ばかりだ。

「そもそも学校とは」という根本的な議論から始めるなら、それは必要かもしれない。


「役所でやれ」と「警察でやれ」の部分を見ると、仕事を受け取る側のことが全然考慮されてないんだよね。学校の能力限界を無視してなんでも学校に押しつけられるのが我慢できないからって、相手の限界を無視してよそに回せっていう主張は学校に押しつけてる側と同じ穴のムジナで何にもならない。

大きさを無視する部分は、「消費税を減らせ! 財源は国会議員の給料を減らせ!」とかいう奴がいるけど似たようなモノを感じる。

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