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シナリオ小話 03 セリフのウソ

17歳でデザイナ・構成作家としてデビューして、フリーのプランナー兼プロデューサー、そして二流の脚本家としてちょうど20年の商業作家生活を無事に送らせて頂きました「おおやぎ」が、2007年頃からMixi等で公開していた講座連載を再構成して掲載いたします。今も脚本・シナリオを学ばれるあらゆる層のかたがご笑覧くださるなら望外の幸せです。

第3回目は「セリフのウソ」ということでいきましょう。

中にはパントマイムという技法もありますが、現在のところ、「脚本」は主に行動と言葉(セリフ)を用いて表現される人物劇です。これは戯曲でも報道でも歌劇でも、あるいは小説でさえこの通りです。
そこで、セリフについて、特に「セリフがウソ」であることに注目してみます。

有名な新井一先生著「シナリオの基礎技術」でも記され、ジェームス三木氏のシナリオ講座でもよく言われたように、『しばしばウソのセリフが効果的』なのです。そしてこの逆も言えます。

誠史郎「ボクはタコ焼きが好きだ。大好きなんです」

こう言わせると、誠史郎はタコ焼きが好物だという事実は伝わります。しかし、これでは何となくウソっぽいし、何よりも味がない。
だからこそ、作劇の世界では、たとえば次のようにするのです。

誠史郎「タコ焼き? 別に好きじゃあないさ」
 と、横目で明子の食べるタコ焼きを見て生唾を飲む。
誠史郎「タコ焼きだって? ふん。そんなもの!」
 と、横目で明子の食べるタコ焼きを見る。
 誠史郎の腹が鳴る。慌てて横を向く。

何らかの理由があって強がってみたものの、それは誠史郎と明子のドラマなのです。
誠史郎がタコ焼きを好く、という事実はきちんと視聴者に伝わるものと思います。
誠史郎がセリフの中では「タコ焼きなんて好きじゃあない」と言うからこそ、誠史郎がタコ焼きを好く真実味が増すのではないでしょうか。

明子「私は健三のことが好き。大好きなの! 愛しているわ。私は健三さんだけを愛しているんです。好きで好きでたまらないわ」

5回も「好き」「愛している」と繰り返した熱烈な告白ですが、実際には実にウソくさい。
どうしてでしょう。ボクたちは本質的に『言葉にはウソがあること』を感じ取っているせいでしょうか。

明子「健三さんのこと?(しばし無言)今は好きでもなんでもないわ!」
 と、顔を伏せて唇を噛む。

おそらくこのほうが、明子がどれほどに健三のことを好きでいるか、伝わるのではないでしょうか。

この辺の『セリフのウソ』を漫画で上手に使って軽妙な人間関係を描いている作家に、あだち充氏がいます。

「てやんでー。誰がおまえの裸なんかに興味もつか」
けれど次のコマでは、女子更衣室の壁によじ登ろうとしている。
それをヒロインが見つけて、
「ふーん。本当に興味なさそうね。まったく、全然」
「ちっとも興味ねーよ。そうだな、うん」
そして主人公、スゴスゴ退場。

たとえばこんな感じ。どのセリフもウソばっかりです。
主人公がしっかり覗きをしようと行動しているのに、セリフにはウソばかり。だからこそ面白い。

今回は例示ばかりでしたが、言いたいことは分かっていただけますでしょうか。
時にセリフはウソである方が面白いんですよ、ということですね。

最後にもう一例。

ある侍、病身の妻を連れ各地を流れる浪人生活。
この侍、かつては名うての使い手であった。
「ねえ、あなた。果たし合いなどおやめ下さい。もう……もう、よいではありませぬか」
細い声でそう言う妻に対して、
「分かっている。今の私にはもはやおまえしかおらぬ。おまえをひとりにしてはおけぬからな」
優しげに微笑んで、手入れしていた刀を鞘に納め、身体を預けた妻の髪を指先に撫でる。

―――さて、この侍、いよいよ未明、果たし合いに出かけるや否や?

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