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父の命の灯の守りかた

父は4年前、
介護老人保健施設入所中に
日常生活をひとりで送ることができない
要介護4の認定を受けていた。
父も含めて家族で話し合い
在宅介護は難しいと判断し

新型コロナ感染症が蔓延する少し前に
有料老人ホームに入所した。

自宅からはかなり離れているけれど
医療従事者の妹夫婦の勤務する病院に附属する施設で
妹夫婦が度々訪問することが可能で
医療的措置が必要な時は妹の病院に入院するので、様子がよくわかり安心という理由だった。

大きな個室に家族の写真や
ラジカセ
好きだったギターなど持ち込み
弟夫婦も度々面会に行けるはずだった。
時々外出させて、懐かしい自宅に連れて帰ることも考えていた。
私も帰郷したら
会いに行くのを楽しみにしていた。

しかし
新型コロナウイルス感染症……
施設で面会の受け入れができなくなった。

とうとう私は1度もその父の部屋に入ることができないまま年月が過ぎた。
面会に行ってもガラス越しだった。
病院通院や入院のときに
付き添いや面会が許されるだけの交流しかできなくなった。

そして父は
たちまち全介助になり、
今は言葉を発することも
自力で食事どころか
差し入れのゼリーも
飲み込むことが
できなくなった。

昨年の春
私が送ったイチゴを
妹が丸ごと食べさせてくれたり
通院時の移動の際に桜を観たりしている写真が送られてきてたのに。

自力で
飲み込むことができなくなったので
胃ろうを作る方法が提示された。

母は
もう何もしなくていい
そう言った。

けれど
みすみす衰弱する父の姿を見殺しにしてよいのか…
栄養を直接胃に届ければ
力が回復して
ほとんど反応がなくなった父が
先月までのように
強い力で手を握り返してくれるかもしれない。

私たちは胃ろうの手術を依頼した。

けれど
父は手術のための検査の
少しの麻酔に不適応を起こして
手術は中止になった。

改めて
弟妹とオンラインで話し合った。
それは
父の命についての話し合い。

父は何を望んでいるだろう。
私たちはそこを考えて判断すべきだ。

父の傍で
医療従事者として客観的な頭と
肉親に対する熱い心の狭間で苦しむ妹が

喘ぎ呼吸で大きな声を発するようになった父の姿から

いやだ!もういい!

そう言ってるんじゃないかと思った
と言った。

手術が中止になったことも
意味があったのかもね
弟が言う。

最後の父の抵抗だったのかもしれないね。

私たちは
新しい決断をした。

父の身体に負担のかかる治療は
もうしないこと。

とりあえず
点滴だけで耐えられる
父の身体の力に任せること。

私たちは
父から命をいただいて生まれてきて


父の命の灯についての
大切な判断を委ねられている。

私たちができることは
できるだけ
父が苦しまない方法を選ぶこと。

心からの
大きな感謝を込めて


読んでくださりありがとうございました。

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