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雑誌記事索引紹介「山田太一」

 2023年11月29日に脚本家の山田太一さんが83歳で亡くなりました。今回は、537件ある山田さん本人の発言記事の中から40件を選んで紹介します。

※掲載内容は大宅壮一文庫HP内の雑誌記事索引紹介と同一記事です。
※今回紹介した索引の雑誌記事のコピーをご希望の場合は、遠隔地の方は資料配送サービスで取り寄せることが出来ます。どうぞご利用ください。
※雑誌記事を検索できるデータベース「Web OYA-bunko」利用者・導入機関受付中!

 山田さんは中学時代の国語教師を通して文学に出会い、大学卒業後は教師をしながら小説を書いていこうと思っていたところ、日を間違えて教員採用試験を受けることができませんでした。そこで慌てて就職先を探して松竹に入社したという経緯があるそうです。松竹で助監督を務めた木下恵介監督のテレビ作品の演出を手伝っているうちに、テレビドラマの脚本を手がけるようになりました。

 山田さんが初めて自分の好きなように書いたという1973年の連続ドラマ『それぞれの秋』では、その当時の主流だった「家族みんなが和気あいあい、ほのぼのとした」ホームドラマと異なり、登場人物の悩みや孤独、家族に見せない別の顔も描いています。『キネマ旬報』2012年12月1日号のインタビューでは「ぼくも『ほのぼのとした』ドラマはそれまでに書いていたので、ここは一番、見て楽しい現実ドラマを書こうと思って。1つの壁を越えるような意欲がありました」、『アサヒ芸能』2013年3月28日号でも「もともと僕は、当たり筋ではないものをやりたい。皆が書いてないところに本当があるかもしれない。そこが基本姿勢なんです」と語っています。

 2017年1月に脳出血で倒れてからは作品を発表することがありませんでしたが、その年の『週刊ポスト』9月1日号に山田さんのインタビュー記事が掲載されています。“良いことも悪いことも引き受けて、自分が受け入れた限界の中でどう生きていくかが大切”ということを語り、「もう脚本家として原稿が書ける状態ではありませんが、後悔はしていません。これが僕の限界なんです」と話す顔には笑いが満ちていた、という記述がありました。

インタビュー 8件

No.1
インタビュー
テレビドラマをつくる 物語の生まれる場所 物語のつくり方 脚本家に聞く 山田太一 時代とともに移り変わる、真実をドラマに描くこと ※『時は立ちどまらない』『五年目のひとり』他
発言者 山田太一/岡室美奈子
雑誌名 美術手帖
発行日 2018年02月
ページ 12-17

No.2
インタビュー
山田太一、83歳「私はもう原稿が書けない。ドラマを観る気力すらない」 60歳過ぎてからも「老い」を感じたことはなかった。だが今年1月、脳出血に倒れ、こう考えた…
発言者 山田太一
雑誌名 週刊ポスト
発行日 2017年09月01日
ページ 62-64

No.3
インタビュー
このひとについての1万6000字 7回 山田太一 「深くあきらめた人の、なおあきらめない思い」
発言者 山田太一/重松清
雑誌名 エンタクシー
発行日 2013年11月
ページ 1-6/13-21

No.4
インタビュー
脚本家・山田太一が語る「家族ドラマ」から見える風景 下 『岸辺のアルバム』に綴った「人間の無力さ」 「努力すればできる」は非現実的な考え ※戦争体験をもとにした『終りに見た街』ほか
発言者 山田太一
雑誌名 アサヒ芸能
発行日 2013年04月04日
ページ 84-87

No.5
インタビュー
脚本家・山田太一が語る「家族ドラマ」から見える風景 上 『ふぞろいの林檎たち』で描いた「戦後教育」への違和感 学歴がなくても堂々と生きる若者を描きたかった
発言者 山田太一
雑誌名 アサヒ芸能
発行日 2013年03月28日
ページ 64-67

No.6
インタビュー
山田太一 ロングインタビュー 『それぞれの秋』『岸辺のアルバム』 テレビドラマの古典を見る時代
発言者 山田太一
雑誌名 キネマ旬報
発行日 2012年12月01日
ページ 50-57

No.7
インタビュー
人生に乾杯 56回 わずかな閃きを離さずにいると、思いがけない物語が浮かび上がる 大学で寺山修司に出会い、毎日のように語り合った。木下惠介監督と出会い、脚本家の能力を開花させた…
発言者 山田太一
雑誌名 週刊朝日
発行日 2012年11月30日
ページ 57-61

No.8
記事種類 インタビュー
山田太一 言葉とドラマの間で ※代表作、不思議なテレビドラマの制約があった70年代、テレビドラマと漫画、木下恵介がプロデュースしたテレビドラマ、ト書き、他
発言者 山田太一/和田彰二
雑誌名 中洲通信
発行日 2007年11月
ページ 8-17

対談・座談 20件


No.18
対談
結婚関係 楽しみの発見 不満なき結婚生活を求めて
発言者 橋田壽賀子/山田太一
雑誌名 婦人公論
発行日 1984年11月
ページ 98-105

No.19
対談
家族の切れた絆 核心対談 石井ふく子vs山田太一 断絶家族にとって“愛”って何? いま家族にとって真に必要なものは? 茶の間で大受けのホームドラマの仕掛人2人が熱論!
発言者 石井ふく子/山田太一
雑誌名 新鮮
発行日 1979年09月
ページ 34-39

No.20
座談
テレビ最前線シリーズ 56・最終回 脚本家が語るドラマ作りの苦心談 人気放送作家 書くことは、役者とつき合い、欠点を知ることから始まる
発言者 倉本聰/小松君郎/林秀彦/山田太一/加東康一
雑誌名 週刊平凡
発行日 1974年06月06日
ページ 64-69

本や映画関連 3件

No.1
愉しい読書 山田太一が語る 我が人生の書棚 ※グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話 手記と追想』、『モンテーニュ エセー抄』、ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』
発言者 山田太一
雑誌名 SAPIO
発行日 2018年06月
ページ 72-73

No.2
インタビュー
山田太一 山田太一インタビュー 山田太一をつくった「知」 50年後も読み継がれるべき本、観られるべき映画
発言者 山田太一
雑誌名 文藝別冊
発行日 2013年05月30日
ページ 12-24

No.3
インタビュー
黄金の読書 山田太一 どちらもとっても大切な「私の青春の20冊」「私の中年の20冊」
発言者 山田太一
雑誌名 ノーサイド
発行日 1994年12月
ページ 7-15

家族関連 9件

No.1
月日の残像 32回 ビールの夜 ※58年前に1度だけ12歳年上の兄と2人で飲んだ日のこと
発言者 山田太一
雑誌名 考える人
発行日 2012年11月
ページ 124-127

No.2
月日の残像 20回 忘れた自分 ※指圧師だった父のこと
発言者 山田太一
雑誌名 考える人
発行日 2009年11月
ページ 142-145

No.3.
対談
親子のカタチ 27回 『ふぞろいの林檎たち』の脚本家・山田太一と『101回目のプロポーズ』の演出家・宮本理江子。似ていないようで似ている2人の物語
発言者 山田太一/宮本理江子
雑誌名 週刊朝日
発行日 2006年12月22日
ページ 63-67

No.4
月日の残像 8回 三男と五男 ※結核で死んだ2人の兄
発言者 山田太一
雑誌名 考える人
発行日 2006年11月
ページ 100-103

No.5
インタビュー
「我が父」を語る 76回 父・山田逸三 息子・山田太一 苦難を生きた剛毅な父、不器用な息子
発言者 山田太一
雑誌名 婦人画報
発行日 2004年04月
ページ 350-353

No.6.
「家」の履歴書 405回 母と兄の死、父と継母の諍い… 辛いことばかりだった湯河原の家
発言者 山田太一
雑誌名 週刊文春
発行日 2003年01月16日
ページ 70-73

No.7
対談
いたわりつ、支えつ、甘えつ 「夫婦物語」 山田太一・和子夫妻 昭和一ケタ、仕事人間の夫を支えてきた妻の“言っておきたいこと”
発言者 山田太一/山田和子
雑誌名 SOPHIA
発行日 1995年04月
ページ 265-269

No.8
父の詫び状 9回 父・山田太一 長男・拓郎 反省しない父?
発言者 石坂拓郎/山田太一
雑誌名 Emma
発行日 1985年11月10日
ページ 87

No.9
グラビア/対談
親子対談 37回 山田太一 石坂佐江子(青山学院高等部3年) 芸能界とはいっさい無縁だった山田家の生活。なにごとも勉強と、佐江子チャンがのり出して
発言者 山田太一/石坂佐江子
雑誌名 週刊宝石
発行日 1984年05月11日
ページ 233-235

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