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私にとっての写真

今夜の勉強会は「写真」がテーマだった。ディスカッションを経て自分にとっての写真とはなんだろう?とふと考えた。

私が所属するゼミでは、写真をテーマに研究しているメンバーが多い。今まで写真に芸術として真剣に向き合っている人に出会ったことがなかったのもあって、写真関係のディスカッションは毎回楽しく参加している。

私は一眼レフを持っているのと芸術に関心が深いからか、知人内での「カメラ会」なるものに声をかけられる機会は多い。いい写真が撮れそうな場所にみんなで出かけて写真を撮るというものだ。親しい友人に声をかけられた時は会うきっかけの1つとして参加していたが、「カメラで写真を撮る」という行為自体には正直関心がない。特に親しい友人以外は、適当な理由をつけて断っていた。

一眼レフを所持する知人の中には純粋に撮影が好きな人もいるが、私の年代に限っていえばSNSにあげるために写真を撮る人の割合が多いと思う。私自身、お気に入りの写真やうちの子(ハリネズミのぬいぐるみ)が盛れた写真はアップしたくなるが、SNSにアップするために写真を撮ることはない。私は写真撮影において大事なのはアウトプットであり、スマホやそこそこのスペックのカメラでも良い写真が撮れたらそれでいいと考えているが、「よりよい機材で撮る」ことが最重要と考える人は一定数存在する。自分は写真に美しさや記録としての役割を期待しているが、機材が好きな人、撮影が好きな人、子どもやペットの写真をきれいに残したい人…同じ写真撮影でも目的や考え方がたくさんあって面白い。

勉強会の中で、カメラ愛好家には芸術的な写真よりもわかりやすい写真の方が評判が良いという話題になった。私はどちらかといえば芸術的な写真を深読みして鑑賞することが好きなのだが、世の中にはわかりやすく美しい写真を好む人が多いとのことだ。確かに美しい写真を見ると綺麗だと思うし、現代美術自体が難解で文脈が深いゆえに敬遠されがちなので納得の傾向である。

ゼミ生の1人が、芸術的な写真の良さを伝えたいといった趣旨のことを発言しており、非常に共感した。少し状況は異なるが私自身も日本美術史のゼミに所属していた時、現代美術の作品をテーマに発表すると教授も含めて作品の魅力を理解してもらえなかった経験が何度もあるからだ。露骨に変人扱いされたこともあり、自分の感性は異常なのかと一時期本気で悩んでいた。(研究を続けていくならそんなことで凹んでいてはいけないのだが…)

しかし、ポジティブな見方をすれば他の人にない感性を持っていることは研究する上で武器になるのではないか。写真芸術も含め、難解と思われがちな作品の魅力をより多くの人に伝えられるよう精進したい。

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