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目に見えないものを追う

ことばを学ぶことは、目に見えないものを追うことでもあります。ことばで目に見えるものは、書きことばの文字の羅列だけです。これ以外は目で直接見ることができません。

文法訳読法(Grammar Translation Method)という外国語教授法・学習法が現在でも根強く行われているのには理由があります。一つは話しことばよりも目で見てわかる書きことばを扱っていること、もう一つは母語という、比較的実感を伴うことばを使っていることがその理由です。確かに英語を英語だけで教えるような直説法(Direct Method)は緊張感があって、その緊張感が習得を促進するという側面はあるのですが、緊張感は度を超えると不安感となり、学習意欲が減退します。最近は、TILT(Translation In Language Teaching;言語教育における翻訳)という考え方に基づき、より効果的に「訳読」を取り入れた授業も少しずつ広まってきています。(持田の授業もこの考え方に基づいています。)

母語話者の感覚というのも、目には見えないものです。ことばで説明すれば抽象的な言い方になってしまいますし、絵に描けば抽象画になります。例えば、ある辞書にmakeの語義が25個載っていたとします。25項目も覚えるのは大変です。そこで母語話者の感覚が知りたいということになります。しかし25項目を一つに圧縮するには、文脈情報をすべて切り落とす必要があります。25項目を5項目、5項目を1項目へと圧縮するにつれて具体性が失われ抽象的で純粋な「makeの意味」が、文字通り「抽出」されます。大人はともかく、小中学生、場合によっては高校生でも、こうした抽象的な「意味」は難しく感じられると思います。特に25項目に一通り触れたことがない学習者には難しいと思います。

このように考えていくと、日本語を母語とする人であれば、日本語を手がかりに英語に迫っていくのが最も確実な学び方です。日本語と英語の違い、あるいは両言語の同じところ、人類の言語全般に共通しているところを確かめながら、少しずつ英語の発想を捉えていくのが、多くの日本人英語学習者にとって適切な学習法だと言えます。また、ことばの背後にあるしくみを考えるときに母語である日本語を使うことも、地に足に付いた学習をしているという実感が湧きやすいと思います。

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