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専門家になるということは、世間からズレていくということ

 吉本興業が経営する劇場のお笑いライブへ行くと、吉本の養成所であるNSCのパンフレットが置いてありました。卒業生や講師のメッセージ、カリキュラムの説明、授業料とその支払い方法まで書かれていて、当たり前ですけど、ちゃんとした学校のパンフレットでした。

 お笑い芸人養成所のパンフレットを初めて見た私は思わず持って帰ってしまいましたが、入る気持ちはありません。理由はいくつかあります。

 そもそもお遊戯会で舞台に出たくないと袖で泣き叫ぶような子供でしたから、人前で何がするのが生まれつき苦手な性分と思われます。その上、お笑いは食える確率が数パーセントとも言われる厳しい世界です。そんな高いハードルを乗り越えたとしても、私には更に困難な状況が待ち受けています。

 例えば私、お笑い芸人の養成所には通っていませんが、別の学校には通っていました。格好つけた表現をすれば、クリエイティブな何かを習得させ、将来のクリエイターを育てる学校でした。

 何しろクリエイティブですから、絵でも写真でも文章でも、とにかく何か作ることを推奨する学校でした。学校に入る前から自発的に何かを作っていれば、それだけで一歩リード。他の人から羨望の目で見られます。

 私も一応は自発的に作ってました。当時はブログ全盛の時代で、SNSが出始めていたような状況です。私は撮った画像に適当な一言を添えるという、インスタグラムを圧倒的にショボくダサくした感じのことをしていました。もちろん、学校に通っている当時も続けていました。何しろ学校から推奨されているのです。当然、クラスメイトにも教えて回りました。

 ネットに載せる画像は本当に適当です。ある時には「まんが喫茶」と書かれた看板の「が」の文字に蛾が止まっているのを見つけ、「今日のネタはこれだ」と閃いてしまいました。もちろん、添えた一言は「『が』に蛾が止まっている」という真っ直ぐなものでした。

 言い訳をしておくと、当時からくだらないとは思っていました。ダジャレと言うのもおこがましいレベルです。読者がわずかでも笑ってくれれば最高ですが、「何あれくだらない」をバッサリいかれても仕方がないと覚悟していました。

 さて、腹をくくって教室に行くと、クラスメイトの面々は私を見るなりこう言いました。

「あの『が』に蛾が止まってるやつ、すごいよね」
「本当よく気づいたよね、どれだけ観察してたの」
「クリエイティブってたぶんこういうことを言うんだよな」

 こちらとしては「バカだなあ」と笑われたり、「ほんとくだらない」と冷たくあしらわれたりしに学校へ来たのです。なのに彼らの態度はどういうことでしょう。世の中には「褒め殺し」なんて言葉がありますけれども、そういう意味では地球ごと始末されたような気分です。

 こうなった最大の理由は、クリエイティブな学校にあると睨んでいます。何でもいいから作ることを推奨する校風は、小さくとも自分の手で作ったものや、日常の中で創作に繋がるちょっとした気づきや、自分には考えつかなかったアイデアを素直に尊敬する学生を育みます。こう書くといい風に見えますし、実際ほとんどの場合はいい方に転ぶと思います。私が勝手に褒め殺されてるだけで。

 私はNSCに入っていないので、内情はよく分かりません。ですが、お笑い芸人を見て察しがつくことはあります。

 お笑い芸人は面白さが重要視されるお仕事です。当然、面白いかどうかが主な評価基準になる。そのせいか、同期・先輩・後輩と、自分にはない面白さを持った人を見つけた際、「面白い」と言う芸人にはしばしば笑顔がありません。畏敬の念と少々の嫉妬、そんな感じの表情が浮かんでいます。

 お笑い芸人なんですから、皆さん笑って欲しいはずなんです。私だって芸人になったらそうなるはずです。スベるのは仕方がないと思うんです。それも実力のうちであり、仕事のうちでしょう。ただ、畏敬の念は耐えられない。「スベりすぎだろ」となじられたほうが遥かにマシです。

 何を言ってるんだとお思いでしょう。しかし、私は軽く褒められただけでみんなの地球を滅ぼされた気分になる人間です。芸人仲間から畏敬の念を受けた日には、私の心は宇宙と一緒に消滅してしまうでしょう。ただ笑って欲しかっただけなのに、滅びゆく宇宙と運命を共にしてしまうとは。

 専門家はその専門性ゆえに世間一般の人とは違った見方を持つようになります。そして、場合によっては一般人の見方を忘れてしまう。学校の生徒ですらそうなんですから、プロともなればその傾向は更に強まるでしょう。畏敬の念。なんかもう、文字だけでも耐えられません。

 専門家の脇で無責任に笑ってたほうが楽しいのかもしれませんね。

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