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お笑い好きが「芸人になりたい」と相談される日

 noteでは澤田さんという仮名で呼んでいますが、私がお笑いの話をする唯一の知人がいます。彼女とは日常的にお笑い関係の情報をやり取りしておりまして、特に大規模賞レースを始めとするイベントが近いと活発に動き回ります。

 そんな澤田さんがよくする質問があります。「子供が芸人をやりたいと言ったらどうするか」。

 「自分、子供いないんで」なんて答えでは澤田さんは「もしもの話で聞いてるんですよ」と許してくれません。「親戚の子とか友達の子供とかが言ってくるかもしれないし」と、妙に現実味のある話で私を追い込んできます。

 私は「結果がどうなろうが、自分の好きなことをやったほうがいい」というのが基本姿勢のため、ひとりの人間としては「やってごらん」と背中を押したいんです。しかし、そこにお笑い好きなら誰しも痛感している現実が立ちはだかります。「売れるのはほんの一握り」、これです。いや、一握りにも満たないと言っていい。

 私のようなただのお笑い好きは別にお笑いを仕事にしているわけではありませんから、お笑い業界とほとんどかかわりのない人間です。そんな人間でも、お笑いを長く見れば見るほど、詳しく知れば知るほど、お笑い業界の厳しさが骨身に染みてくるんです。

 「夢半ばで挫折する」なんて言葉がありますが、夢に到達するまでの道のりは、もう膨大な挫折ポイントであふれています。それこそ芸人になる前の段階から挫折ポイントがトラバサミみたいに口を開けて待ってるわけです。

 今では芸人の養成所がいくつもありますが、そもそも養成所の学費が捻出できなかったり、何となく嫌になったりで諦める人もいるでしょう。養成所に入れば、同期に大体すごいやつがいますし、ネタをよくするためとは言え講師にダメ出しをされたりします。そのせいか、養成所ではせっかく学費を払ったのに途中で来なくなる人が毎年のように出まくると聞きます。

 養成所を出てからも大変です。養成所を出れば芸能事務所に所属できるわけではありません。所属できなければフリーの芸人として自分たちで仕事を探すことになります。無名の芸人に仕事をくれる人間がどれだけいるか考えれば、その厳しさはよく理解できます。事務所に所属できたとしてもずっとそこにいられるとは限らない。「もううちにはいりません」と言われて放り出されることも普通にございます。事務所のサイトを見ると、ネタどころか名前も知らない芸人がたくさん所属しているわけですが、そんな知らない芸人の時点で既に結構な挫折ポイントを潜り抜けてきた猛者なわけです。しかし、そこから売れるのがほんの一握りなんです。

 まず売れるのだけでこれだけ大変なんです。更に高難易度なのが「そのまま売れ続ける」というやつです。不祥事をかましていなくなるのは話題になるだけマシなんです。世の中には意外と立ち直りのチャンスがございますし。もっとヤバいのは何の理由もないのにフェードアウトしていくパターンです。見てる側は消えてることに気づかない。「あれ、そう言えば」と気づいた時にはいなくなってるんです。ネットで検索したら別の仕事がメインの収入になってたりする。

 何事もそうですけど、うまくいくためには適性とか能力だけじゃなくて運もいる。そういう現実を見ていると、「お笑いがんばってね」と気軽に言えなくなってしまう自分がいます。澤田さんの前でうなり声を出して考え込んでいた私ですが、ハッと気づくわけです。「これ仮定の話じゃないか」と。

 「なんで仮定の話でこんな真剣に悩まなければいけないのか」。澤田さんに「子供が芸人をやりたいと言ったらどうするか」と問われると私はいつもそう言って、ちゃぶ台をひっくり返すように話を切り上げようとします。でも、澤田さんは諦めません。「友達や親戚の子供から聞かれたらどう答えるの」という伝家の宝刀を振り回しながらどこまでも追いかけてきます。確かに、私には甥がいますけれども、彼は電車とサッカーと戦国武将に夢中で、お笑いの入る余地はないように見えました。

 しかし、前回の帰省で甥にあった時のことです。私がダラダラとお笑いの動画を見ていますと、甥が覗き込んで「あ、囲碁将棋だ」と言ったんです。お笑いが好きな人なら囲碁将棋は有名な漫才コンビでしょうが、逆を言うとちょっとでも積極的にお笑いへ興味を向けないと顔と名前が一致しないのが今の囲碁将棋だと思うんです。実際、甥の母である私の姉に聞いたら「何それ知らんし」と軽くあしらわれました。普通はこんなもんです。そういやあ、職場のイベントでロバートの秋山さんをお呼びする機会があったんですが、上司が普通に「お笑い芸人のロバート滝山さんが来るんだって、星野君」と言っていたのを思い出しました。上司の中では「ロバートに所属している秋山さん」ではなくてロバート滝山さんという、ミッキー吉野さん的な名前の芸人がいらっしゃると思っていたようです。「ロバートでもこの知名度ですか」と驚いた記憶があったんですが、一般的な方のお笑い知識はこんな感じのようです。

 何なら甥だって去年は電車とサッカーと戦国武将で頭がいっぱいで、お笑い芸人はテレビにバンバン出るような最上級の知名度を誇る面々しか知らなかったはずなんです。私のポンコツなお笑いセンサーでもグッと反応しましたので、甥に聞いてみました。

「なに、最近お笑い見まくってんの」
「うん、『芸人になる』って言ってる友達と一緒に見てる」

 何でもその友達はお笑い芸人になると公言しているようで、高校も芸人になるという夢を最も叶えやすい学校を選んだそうです。芸人になりやすい高校というのがどんな高校なのかはよく分かりませんが、そんなことよりもです。お笑いコンビのありがちな話として「学校の友達と組む」というやつがあります。特に、養成所に通う前の結成では王道パターンと言っていい。

 そのことを澤田さんに報告したら、彼女は満面のドヤ顔を浮かべてこう言いました。

「どうだ現実に近づいてきたろう」

 なんで百円札を燃やす風刺漫画の成金みたいな言い方なのかは分かりませんが、マジで「芸人になりたいんだけど」と相談される場面が現実味を帯びて参りました。みんなそれぞれ好きなように生きてくれればいいと思ってはいますが、いざ「芸人になりたい」と聞かれたら、私は過酷な現実をとりあえず脇に置いて背中を押せる叔父になれるのか。挫折してもそれはそれでいいじゃないかという、深い懐を作っておけることができるのか。

 とりあえず、懐を深くする練習から始めたいと思います。思ったはいいものの、どうすればいいんでしょうか。仮定の話でまたいらんことを考え始めて参りました。

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