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お笑いをする人と、それを分析する人

 いつの頃からか、お笑いを分析する人がいじられるようになりました。それを大舞台でネタにしたのが昨年のM-1グランプリ決勝でのウエストランドです。

 改めてその箇所を引用します。敬称略で参ります。

河本「じゃあスポーツ観戦にはあるけどお笑い観覧にはない」
井口「はい。これは本当に分かりました」
河本「じゃあどうぞ」
井口「正解は『分析』。なぜならスポーツは分析するのも楽しいけど、お笑いに分析は必要ないから、正解は『分析』」
河本「あー。残念、違います」
井口「そうか、ネタの分析とかしてくるウザいお笑いファンとかいるかー。やめてくれー。やめてくれー。おーい、現在進行形やめてくれー」

 お笑いを分析する方々に対するお笑い芸人の反応は、私が見聞きした限りでは概ねネガティブで、「分析せずに笑ってほしい」という主張が多いようです。もちろん、ネタでおっしゃっている可能性があるので何とも言えない部分はございますが、分析する人に対する感想が一様に微妙なのは気になっていました。この状況はどのようにして出来上がったのでしょうか。

 そもそも分析をする人自体は、お笑いに限らず昔から存在していました。分析する人は分析対象や時代背景などによって哲学者とか科学者とか評論家とか、いろんな名前で呼ばれてきました。対象は身近なものから宇宙の果てまで、様々な手段を用いて多くの方が分析しているのを見ると、人は分析する生き物であるという前提まで出てきそうです。

 また、笑い自体は古くから存在しており、それを分析をする方もまた存在してきました。お笑いを仕事にする方はもちろん、それ以外の方も普通に分析し、書籍として出版されることもございます。つまり、お笑いの分析自体は今に始まったことではない。

 では、近年のお笑い芸人の反応はなぜ微妙なのでしょうか。YouTubeチャンネル「爆笑問題のコント テレビの話」で他ならぬウエストランド井口さんの口から、手がかりになりそうな発言が出ていました。

 話の流れとしては、ウエストランド以外の方々がウエストランドの漫才を分析し、評価していたわけなんですが、そこへ爆笑問題の太田さんが井口さんを指さして「お前、そういうのに文句を言ってたじゃんか」と執拗にいじります。それに対して井口さんはこうおっしゃっています。

「こんな楽しい分析だったら、どんどんした方がいいですからね」
「分かった風な口でネタのダメ出しとか、これがよくないだのというのは嫌かもしれないですけど、こういう実はここがよかったんだって話はどんどんしてったほうがいいんですよ」

 「嫌なことは言われたくない」。非常に単純かつ当たり前の話ですが、そうおっしゃるまでの背景が重要だと考えられます。その背景を端的に表すなら「発言力の増大」です。

 昨今はインターネットの発達により、個人の意見が世間に向けて拡散される機会が増えましたし、著名人に向けて直接コンタクトを取るのも容易になりました。有名人が自分の意見を見てきたりとか、逆に有名人へ意見をぶつけてみたりとか、そういう現象も当たり前のように起こっています。インターネットが言わば強力な拡声器みたいになったわけです。

 となりますと、かつてはテレビを見ながら部屋でひとり文句を言っていただけで済んでいたことが、うっかりSMSに書き込んでしまい、予想外に拡散されて本人の目に留まるなどの騒ぎになる危険性が出てきました。また、著名人のSNSにひたすら意見を言いに行く方も現れやすくなった。それが問題となり、時にニュースとなるのは皆さんご存じのところです。

 お笑い芸人となりますと、それに加えて「地位の向上」が挙げられます。赤の他人からいろいろ言われてムッとしていたお笑い芸人は以前からいらっしゃったでしょうけれども、現在のお笑い芸人はいくつかのブームを経て、幅広いジャンルで活動する職業となっています。毎年のように多くの志望者が絶えない、いわば憧れられる存在となりました。様々な分野で活動すれば発言の機会は増えますし、お笑い芸人の地位が向上すれば発言力も当然ながら高まる。そうなると、ちょっと「お笑いを分析する人って微妙っすよね」と口にすれば、その事実がニュースとしてパッと拡散されてしまい、多くの人の耳に入る事態となるわけです。

 お笑い芸人の数は以前に比べて増えましたし、それに伴いお笑い芸人のファンが増えてきたことも原因だとは思います。多くの人の目につけば、それは分析の対象になりやすいことを意味します。ただ、昔から存在していたお笑いの分析は、発言力の増大によってお笑い芸人の目につきやすくなった。同時に、お笑い芸人自身の発言が注目されやすくなったため、分析する方々をいじる発言が増えたように見える可能性は充分に考えられます。

 お笑い芸人としては笑ってもらうために仕事をしているわけですから、「分析より笑ってほしい」という気持ちは非常によく分かりますし、それが本来の消費のされかたです。ただし、作った人の意図とは違う目的で消費されることは非常によくある話と申しますか、よくありすぎて自然な流れではないかと思えるほどです。中には重大な事故を起こしてしまう場合もある。何らかの製品が思わぬ方法で使われて事故が起き、メーカーが注意喚起をするなどの対処に追われることがある点からもそれがうかがえます。

 お笑いを分析するという行為は、作った人の意図とは違う活用をしているとは思いますが、基本的には事故とは言えないように感じられます。これが事故なら、世にあふれる様々な評論家の方々も事故になってしまいます。あまりにも執拗に批判したり、強すぎる言葉を投げかけるのはよろしくない場合が多いですが、それは分析が問題というよりは態度や言葉遣いの問題だと考えるのが自然です。

 では、今後はどうなるのか。恐らく、お笑い芸人がメジャーな存在であり続ければ、分析もされ続けると思います。身近なものを「どうしてこうなっているんだろう」と興味を持ち、調査して分析して何らかの結果をどこかで発表する人は出てくるでしょう。私がこのようなことを書かなくなっても、別の方がやり始めるに違いありません。「私を倒してもいずれ第2第3の私が現れて……」と言う悪役みたいな話になってきましたけれども、このセリフが今も使われているというのは一定の真理があるからだと考えられます。

 ただし、分析だろうが何だろうが意見を言うことは時にリスクがある行為である点は、これまでに書いてきた通りです。それに、全然知らない人や自分と全く違う立場の人にああだこうだ言われると反感を抱きやすい傾向にあります。最近、ちょうど典型的なやり取りをしている動画を見かけました。

 該当箇所は動画終盤の8分20秒以降です。囲碁将棋のふたりが慣れないタイプのネタをやったあと、いろんな方が囲碁将棋の根建さんへ意見を出すんですが、そこで佐々木舞香さんが「ちょっと目が泳ぎすぎかもしれない」と指摘します。すると、根建さんが「こっち来てみてくださいよ」、つまり「そんなに言うなら、あなたが舞台に立って漫才をしてくださいよ」と言う。そして、他の芸人から「1番言っちゃダメなやつ」「1番恥ずかしい」「若い女の子に『お前漫才やってみろ』はダメよ」と総ツッコミを食らいます。「気持ちはものすごくよく分かるんだけど、それを言ったらおしまいよ」というやつですね。もちろん、番組内でのやり取りなので、ネタだとは思うんですが、本音がある程度混ざっていてもおかしくないやりとりです。

 分析やダメ出しの全てが当たっているわけではないですし、無責任に適当な意見を言う人は確かにいます。ただし、全ての意見がダメというわけでももちろんありませんし、そういう意味でも「やったことない人が何を言ってんだ」と返してばかりいるのが正しいとは考えづらい。ですが、どの意見がよくてどれがよくないのかを見分けるのは非常に難しいんです。だから、今後も議論と申しますか小競り合いと申しますか、お笑いをする人とそれを分析する人の間で、多少はワチャワチャすることが続くのではないかと思われます。

 今回は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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