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笑いに関する名言集――冬のファインマン祭り その1

 私は笑いに関する名言を集めてここに載せているんです。笑いに関する名言は以下のみっつのどれかに当てはまるものと勝手に決めてのことですが。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 そこで以前、「夏のビアス祭り」と称して、ビアスの名言、具体的には「悪魔の辞典」に載っている言葉の中から笑いに関すると思われるものをピックアップして載せました。

 ビアスのように、笑いに関する名言を言いまくり書きまくりの人生を送った著名人がいないかとぼんやり考えていたんですが、なかなか思い浮かびませんでした。歴史に名を刻む人物はなぜか笑いに関する名言をあんまり遺していないんです。日夜ふざけたことばかり言っている人は歴史に名を刻む気がないのかもしれない。もしくは笑いに関する何かを言ったり、ふざけた発言をしたとしても、なかなか言い伝えられないようなんです。

 笑いに関する名言をたくさん残している歴史上の有名人。この条件であれこれ考えた結果、思い浮かんだのがファインマンでした。

 ちなみにトップの画像は英語版ウィキペディアから引用しております。

 ファインマンは1965年にノーベル物理学賞を受賞した著名な学者でありながら、著作「ご冗談でしょう、ファインマンさん」などで妙な言動をしているところが広く知られています。

 著名な学者で言動が奇妙。そのためか、「ファインマン語録」なんて書籍も出版されています。

 そんな「ファインマン語録」から、笑いに関する名言を独断で選び、載せてみます。今回はファインマンの発言から「笑いに関係する言葉が入っている名言」を集めてみました。では、早速参ります。

ぼくのおふくろさんは科学のことはあまり知らなかったが、(おやじ)同様にぼくに大きな影響を与えている。ことに彼女はすばらしいユーモアのセンスの持ち主だった。笑いと思いやりの心こそ人が到達できる最高の理解の形だということ、これはおふくろさんから学んだことだ。

原出典「困ります、ファインマンさん」

 ファインマンの言動はしばしば「ユーモア」と称されていますけれども、自身のユーモアの源流について語った言葉です。母親譲りだったようですね。ファインマンのお母様がどんなエピソードトークやどんな一発ギャグを繰り出して我が子を爆笑させていたのかは残念ながら分かりませんけれども、その辺りはファインマンの発言から推測するのがよさそうです。

(人々の社交礼儀について)それがたいへん高級で、そこにしっくりはまらない者は変な奴だ、と誰もが一人残らず信じているなんてことは本当じゃない。なかには微笑んでいる人も大勢いるし、優雅で優れた人、それがただのショーだとわきまえている人も多い。でも始めのうち、そんなことは見抜けないもんだ。

原出典「1966年3月5日 チャールズ・ワイナーによるインタビュー ニールス・ボーア・ライブラリー・アンド・アーカイブおよび物理学史センター」

 ノーベル賞を取った後の発言です。受賞したことで様々な場所へ出る羽目になり、ファインマンとしても当然ながらその変化に思うところがあったのでしょう。発言の中にはファインマンなりの戸惑いが感じられます。

 それから3か月が経ち、同じ人物によるインタビューでは同じ「笑いに関係する言葉が入っている名言」でも、だいぶ荒れたものが見受けられます。

会見、王家の晩餐、王の謁見、受賞とか、まったくのべつまくなしだ。なかでも最悪だったのは、ぼくがいつも王だの何だのをあげつらっていることだ。仰々しい儀式とかね。以前もそうだったが、今でも相変わらずあざ笑ってる。ところがそのぼくが、あろうことかそれに加担しなくちゃならないんじゃないか。だれか他人がやっているときはあざ笑っておきながら、今度は賞を受けるからといって馬鹿にしていたそのものに、しゃあしゃあと従うなんてのは矛盾もいいところだ。いいかい? 以前は馬鹿にして笑っていたのが、ここでは偉そうにそのど真ん中にいて、もう笑ってもいないんだぜ。ハハハのハだ!

原出典「1966年6月28日 チャールズ・ワイナーによるインタビュー ニールス・ボーア・ライブラリー・アンド・アーカイブおよび物理学史センター」

 「のべつまくなし」とか「ハハハのハ」とかは翻訳の問題であり、ファインマンがマジでそんな喋りなのかは分かりません。ただ、自分の名が知れ渡った結果として、自分が嫌がっていたものに関わらなくてはいけなくなり、インタビューで自虐を披露してしまったようです。

 大きな賞というのは、はたから見ていると「いいなあ」「すごいなあ」と思ってしまいますが、当事者としてはなかなか大変なんだと思います。

どんなに注意深く若者たち(1961年にはカルテクも男子しか受け入れませんでした)を選ぼうと、どんなに念入りに彼らを分析してみようと、ここに入ってくる新入生には、決まって何ごとかが起こる。つまり彼らのほぼ半数が平均以下ということが、必ず起こるんです! もちろん諸君はこの話を聞いて笑うでしょうが、合理的に考えればそれは当たりまえのことだからです。しかし感情的にはそうはいきません――気持ちの問題となると、笑うどころではない。高校の科学のクラスではずっと一番とか二番とか(ひょっとすると三番ということも)でとおしてきて、しかもそこで平均以下の生徒など、うすのろの骨頂だと思っていたところへ、今度は君たち自身が平均以下なんだと突然気づく。それも諸君の半数がそうなのですから、これはひどいショックです。つまりそれは諸君の高校時代によくいた、あの頭の悪い連中と同じだということを、比較上意味しているのですからね。これはカルテクの大きな欠点で、この心理的ショックに耐えるのは至難のわざなのです。

原出典「ファインマン流 物理がわかるコツ 増補版」

 カルテクとはカリフォルニア工科大学のことでありまして、マサチューセッツ工科大学と並ぶエリート学校だとウィキペディアに書かれております。

 おっしゃっている内容は、優秀な人が集まる学校の「あるある」です。それぞれの学校の1位をかき集めて更に順位をつけたら、当然ながら1位から最下位まで出てくる。理屈では分かっていても、以前は1位だったのにいきなり最下位になる人の気持ちは相当にしんどい、みたいなものですね。

 日本国内でも起こっている現象でございまして、某難関高校の出身者から、1年の4月に教師から同じようなことを言われたとの証言を得ております。優秀な人は優秀な人で大変のようです。

ぼくが我慢できないのは哲学じゃない、その尊大さだよ。せめて彼らも自分を笑い飛ばせるぐらいなら、まだしも話になるんだが。

原出典「1979年2月 オムニ誌によるインタビュー(『聞かせてよ、ファインマンさん』に収録)」

 先ほどの「ハハハのハ」の名言でもお分かりかと存じますが、ファインマンは権威的なものをあまり好まない性格のようで、相手が哲学だろうと何だろうとお構いなしのようです。

 最後に、ちゃんと科学者っぽい名言をふたつほど。

科学的な議論となると、たいていにぎやかな笑い声が上がる一方、双方とも不確かだから何とか実験を考えだし、その結果に賭けようとするものです。

原出典「1963年 科学の不確かさ ジョン・ダンス連続講演」

 私は科学的な議論をしたことがないので分かりませんが、「たいていにぎやかな笑い声が上がる」ものなんでしょうか。まあ、科学的な議論をする方々はもともと三度の科学より科学が好きな方々ですから、好きな話をしていれば、例え話題が科学的なものだろうと笑い声くらいあがるものなのかもしれません。

まず第一に理論が何であるかをお話したいと思います。どんな風に見えるものか、どのように計測するか、つまりこれがどんなものかをお話しすることにしましょう。そうでなければこれがどれほどまで「世界図」なのかをわかって頂けないと思うからです。なぜ「世界図」なのかと言いますと、それは(放射能と重力を除いて)世界のすべての現象を言い表しているからで、これが何とも膨大な数の現象です! この理論のすべてが徹底的に理解されれば、講演者がまぬけなことを言ったときの聴衆の笑い声の現象ですら、説明できるはずなのです。

原出典「1979年6月 QED:光子―光の粒子 オークランド大学ダグラス・ロブ卿記念講演」

 科学の中でも理論に関する言葉です。理論を「世界図」と表現し、そう表現する理由を述べ、最後にちょっとオチをつけている。笑いを絡めて分かりやすく表現してやろうという、ファインマンの意図が何となく分かる気がします。

 今回は以上となります。次回はファインマン祭その2と称して、笑う余地のある名言をご紹介いたします。ではまた。

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