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笑いに関する名言集――オリンピックがらみ

 名言集がたくさん出版されるくらい、世に名言はあふれてますし、それだけあふれてるってことは名言の需要もあるはずなんですけれども、笑いに関する名言集はあんまりないなと思ったんです。お笑いを仕事にした人物の発言をまとめた本が多少あるくらいで、「笑い」というカテゴリーでまとめた名言集はまず見かけない。

 しょうがない作るか。そう諦めて、今も作っている次第です。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 今回はオリンピックに関する名言を集めてみました。たまたまスポーツ選手関連の名言を集めていたんですけれども、最近になってふと思ったんです。「なんかオリンピックやってるぞ」と。

 名言が本に収録されるレベルのスポーツ選手ということは、当然ながらオリンピック出場者も多いわけです。そこで、せっかくだし軽くまとめてみようと思い立ちました。ただ、ここは「笑いに関する名言集」でございますから、上記みっつの条件のどれかを満たすものだけを選びました。そんなものあるのかと自分でも思いましたが、まあ探せばあるものです。

 では、早速参ります。

見慣れない顔の人間が何本ものスキーをかついで、ぞろぞろやってきたものですから、あやしい奴らだ、密輸ではないかと疑われ、税関で立ち往生しましたよ。
麻生武治(1899-1993)

 麻生武治は日本のスキー選手でございまして、1928年のサンモリッツオリンピックに日本人として初めて冬季オリンピックに出場します。麻生は英語やフランス語、ドイツ語が話せたことから、通訳も兼ねていたとのこと。大学時代には箱根駅伝の出場経験もございます。

 いきなり冬季オリンピックからのスタートですが、それはともかく、当時のスキー板は折れやすかったため、予備も含めてひとり5~6本のスキーを担いでいたようです。そこを税関に止められたとのこと。

 冬季オリンピックへの参加がそもそも初めてということもあり、慣れないことが多く、麻生が参加した競技は全て失格や途中棄権により記録なしに終わったようです。ただ、そこから時間が経ち、日本人の冬季オリンピックにおける活躍に至ったと考えると、麻生の挑戦が大きな一歩だったのは間違いありません。

 次からは夏季オリンピックの名言でございます。例えば、こちら。

こんなことなら字をけいこしておくんだった。
鶴田義行(1903-1986)

 鶴田義行は水泳選手でございまして、1928年のアムステルダムオリンピックでは200メートル平泳ぎで日本水泳初の金メダリストとなり、1932年のロサンゼルスオリンピックでも同じ競技で金メダルを獲得、日本人として初めてオリンピックを連覇した人物となりました。200メートル平泳ぎでは世界記録を保持していたこともございます。

 上記発言はレース後、たくさんのファンに囲まれてサインをせがまれた時のものだそうです。当時もそんな習慣があったんだなあと感慨深くなると共に、彼の人柄がギュッと詰まった言葉にも感じられます。

 ちなみに、アムステルダムで鶴田は大会本番に使うプールへ潜り込んでトレーニングをしていたんですが、当然ながら立入禁止だったため、管理人につまみ出されています。しかし、そこでくじけず、煙草を買ってきて管理人に渡し、油断させた隙に再びプールに入り、今度は見つからないよう潜って特訓したとのこと。

 そのプールは壁がツルツルだったためターンがしにくかったようですが、鶴田だけは事前の特訓によりターンのたびにタイムで1秒ずつ得をすることになったそうです。当時ならではのエピソードと言えるでしょう。

 続いてはこちら。

おれは三段跳びなんてこの4年間、やっていねえ。どうやったらいいんだ、とだれかに聞くと、そいつがいうんだなあ。なんでもいい、ホップをうんと跳んで、ステップをもっと跳んで、ジャンプをさらに跳べってね。まあいいや、アキレス腱切ったら医者がいるって思って出かけたよ。
南部忠平(1904-1997)

 南部忠平は日本の陸上選手でございまして、種目は走り幅跳びと三段跳びとのこと。1932年のロサンゼルスオリンピックでは世界新記録で金メダルを取っています。

 そして、金メダルの裏側でこんなことを言うわけです。

 どうやら南部にとって本業は走り幅跳びで、三段跳びは副業のようなものと考えていたそうですが、三段跳びより前におこなわれた走り幅跳びでは銅メダル。これは南部にとって不本意な成績だったようで、競技後にハリウッド映画を見ても内容が全然頭に入って来なかったそうです。

 そんな状況で挑んだ三段跳び、くだんの医者には「オレがついているから安心して(アキレス腱を)切って来い」と励まされ、結果として世界新で金メダルを獲得いたしました。

 ちなみに、1934年、練習中にアキレス腱を負傷して現役を引退しております。

 ここまで日本人の名言ばかりでしたが、国籍で選んでいるわけではございません。ただ、出典元の本の著者が日本人ということもあり、必然的に情報が多い日本人の名言が多く集まり、笑いに関する名言だけピックアップしても日本人が多めになったのだと思われます。

 ただ、もちろん海外の人の名言もございます。例えば、こちら。

走るのとほほえむことを同時にできるほどの能力がないだけ。
エミール・ザトペック(1922-2000)

 ザトペックはチェコの陸上選手で、現役時代はチェコスロバキア代表として活躍した人物です。長距離走にスピードを持ち込んだ先駆者として知られ、「人間機関車」の異名を持っておりまして、1948年のロンドンオリンピックでは男子1万メートルで金メダル、続く1952年のヘルシンキオリンピックでは男子5000メートル、男子1万メートル、男子マラソンの3種目で金メダルという、よく分からない偉業を達成しています。

 ザトペックは苦しそうな表情で走ることから「心臓にナイフを刺して走る男」とも呼ばれており、記者に「どうしてあんな苦しそうな表情で走るのか」と質問された時に答えたのが上記発言となっています。

 陸上競技の世界に入るきっかけのひとつとして、1936年のベルリンオリンピック5000メートルと1万メートルで4位入賞を果たした村社むらこそ講平の走りに感銘を受けたことをあげており、1981年の来日時には村社との走りを熱望、当時75歳だった村社と一緒に5キロを走ったとのこと。

 他にも「プラハの春」の際、ザトペックは自由化を求める「二千語宣言」の署名者となったため、ソ連軍によるチェコ侵攻のあとは冷遇され、ウラン鉱山で掃除をする仕事に回されていましたが、1989年の民主化により復権するなど、真面目な人柄が名言にも滲み出ているように感じられます。

 オリンピック選手だけでなく、運営側の名言もありましたので、最後にご紹介いたします。

オリンピックで金儲けをするのはけしからん、とどうしてギリシャ側は言えるのか。オリンピアには〝ホテル聖火〟もあれば土産ショップではプラスチック製の聖火模型を売っている。それに国営空港は〝オリンピック・エアライン〟の名前で五輪マークをシンボルマークにしているではないか。
ピーター・ユベロス(1937- )

 ユベロスはアメリカの実業家でございまして、1984年のロサンゼルスオリンピックの大会組織委員長を務めたことでも知られています。中でも、それまで赤字続きだったオリンピックに放映権料やスポンサー収入といった、いわゆる「商業主義」を取り入れ、実践し、成功させた功績が有名です。これにより、莫大な経費を理由に立候補都市が少なかった状況が一転、以降はグッと増えたとのこと。

 上記発言は商業主義を批判されてのものと考えられます。「君らはそう言うけど、もうオリンピックをガッツリ商売に使ってるじゃないか」というわけですね。

 ちなみに、現在は公式スポンサーでもないのに広告などでオリンピックを活用すると「アンブッシュマーケティング」なんて呼ばれ、規制の対象となっているようです。

 ただし、「聖火」だけではオリンピックに乗っかってるとは限らないためか、日本でも静岡県に「割烹民宿 聖火」が存在しています。

 また、スーパーなどを経営する企業「Olympicグループ」はオリンピックの商業主義路線が本格化する前に創業しているという歴史的経緯により、JOCとの協議の結果、現状維持となっているとのこと。

 同様の理由からか、「オリンピック・エアライン」は「オリンピック・エア」と名称を変更しつつもオリンピックの名はしっかりと残っています。

 「ホテル聖火」は調べても見つかりませんでしたが、オリンピックが商業化路線へ舵を切る前からやっていたことを考えると、ひょっとするとまだギリシャで元気に商売しているのかもしれませんね。

◆ 今回の名言が載っていた書籍


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