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恋愛話を避けて山へこもるか

 他人の恋愛に興味が持てないんです。友人から有名人まで平等に興味がない。そんな状態ですから、誰かと恋愛話なんてしたくない人間でございます。

 気づいたのは中学生の頃、クラスメイトが恋愛の話をするようになった時です。互いに好きな人を言い合うみたいな他愛のない話のはずが、私はお腹の辺りにモヤモヤした感覚が生まれ、「なんでこんな話をしてくるんだろう」と疑問を持つようになったんです。

 自分が恋愛をすれば変わるのかと思いきや、全然そんなことはありませんでした。何なら、彼女の話を他人にすることが滅多にございませんでした。それどころか、誰にも知られずヒッソリと付き合ってヒッソリと別れる、スパイみたいな恋愛をしてたんです。理由は簡単で、誰かと恋愛の話をするのが嫌だったからです。

 他人と付き合うくらいですから、恋愛自体に興味はあるんでしょう。でも、人のは別に聞きたくないし、誰かに話したくもない。もちろん、流れで仕方なく話をする時はあったんですが、我慢しているのが自分でも分かるんです。誰と誰がつきあってるとか、喧嘩して別れたとか、そういうのが本当に聞く気になれない。頑張って興味を持とうとしても、目標はすぐに挫折へと変わる。もはや生まれついての性格なんだろうと諦めています。

 学生時代、恋愛というのは一大トピックでございますから、なかなか大変でした。うまく避けようにも、あの子もあの子も恋愛の話をしてくる。でも、希望はありました。大人はあまりそういう話をしていないんです。口を開けば恋愛垂れ流し、みたいな大人がいなかった。だから、「大人になればこの苦しみから解放される」と思っていたんです。

 実際、大人になった私、確かに恋愛の話ばかりする人が減りはしましたが、まだまだ普通にいるという事実に気がつきました。子供の頃、恋愛話をする大人を見かけなかったのは、「子供にこんな話をしたところで」と思われていただけで、相手が大人ならバリバリ恋愛トークをする人がいたんです。もちろん、大人になると恋愛を含めたプライベートな話をする機会は減ってゆくため、恋愛の話を聞く苦しみから少しは解放されましたが、思っていたほどの楽園でもない。そんなリアクションに困る現実を突きつけられたわけです。

 とは言え、私にはまだまだ将来に希望を持っておりました。「人生の後半にさしかかれば、さすがに解放されるだろう」と。実際、お年寄りが恋愛話で盛り上がっている様子を見たことなんてございません。もう嫌な予感はしておりますけれども、学生時代から半世紀も経てば、心身ともに大きな変化が起きているはず。老成した心は恋愛なんて話題にせず、もっと別の話ばかりするものだと思っていたんです。

 しかし、気がかりな話を聞いたんです。介護施設に入所している男性が、お気に入りの女性が自分より別の男性と話をしている時間が長いと不満を漏らしている。そんな三角関係が後期高齢者になっても続発しているらしいんです。

 「えっ、まだそういう話するんすか」と私は軽い絶望を覚えました。他にも、好きな異性のためにプレゼントを用意するとか、あの人とあの人の仲が怪しいという話に終始する人とか、なんか学生時代から全然変わっていないエピソードがポロポロ出てくるんです。まさに「三つ子の魂百まで」でございまして、生きている限り恋愛がなくなる兆しはない。

 年齢を重ねればそういう話をしなくなるだろうという、私の希望はアッサリと打ち砕かれました。人が恋愛話を避けて生きるためには、他人との関わりを避けねばならないのでしょうか。山奥で自給自足の生活をして初めて達成できるユートピア。

 とりあえず、サバイバル系の勉強を始めようか悩み始めています。

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