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仙人を仙人と呼んで後悔

 大学生をしていた頃の話です。私はとある講義の教授があまりにも特徴的な外見で気になってしまいました。痩せ型の男性でございまして、髪は薄く、髭が非常に長い。そして、どちらの毛も真っ白です。

 私はその教授に「仙人」という直球のあだ名をつけました。当然、本人の前では決してそんな名前で呼びません。友人知人との会話でバリバリ使っていたんです。誰もが教授を「仙人」と呼ぶのに何の抵抗もありませんでした。それほどまでに見た目が仙人だったんです。杖を振るえば目の前に雲が現れ、それに乗って空を移動する。そんな姿が激烈に似合うんです。いつ霞を食べ始めても一切の違和感がない。非の打ちどころがないほど仙人だったんです。

 ある日の仙人は、講義でこんなことを言いました。

「今、断食をしてるんです」

 どうも宗教上の理由ではなく、健康のためにやっているとのこと。もちろん、専門家の指導を受けてやっていたんですが、そんなことよりも仙人が断食をしていると聞いた私たちは色めき立ちました。こんなに断食の似合う教授なんてなかなかいない。まさに仙人だと盛り上がったんです。

 そのまま私たちは仙人の講義を受け続けていたんです。講義を受けるたび、友人との間で「今日も仙人だな」と確認するのを欠かしません。そうやって仙人を仙人と呼び続けてきたんですが、もう仙人の講義もだいぶ受けてきたある日のことです。私が大学構内を歩いておりますと、向かいから知らない学生がふたり、談笑しながら歩いてきました。すれ違った辺りで、その学生が言ったんです。

「そういやあ、仙人の講義だけどさ」

 私は焦りました。教授に何となくつけたあだ名が広がって、今や知らない学生まで当たり前のように使っている。もちろん、仙人の外見は綺麗に仙人でしたから、私以外の学生が「あの教授を仙人と呼ぼう」と考え、同時多発的に仙人のあだ名が発生して、学生に広がっていった可能性は充分に考えられます。とは言え、私が仙人を仙人と呼び始めたひとりであることは言い逃れできない事実です。

 こんなに広がったら、いつか本人にもバレかねません。「学生が私を仙人と呼んでいるのか。どれ、言い出しっぺを調べてみるか」と言って、神通力で犯人をサーチ・アンド・デストロイされかねない。

 世の中には、何となくつけた名前が流行語になってしまう場合がございます。言葉が世間へ広がるにつれて少しずつ意味が変わってきて、時には悪い意味で使われる時もある。自分が生み出したはずの言葉が独り歩きしてしまう現象です。もはや生み出した人の手を離れ、勝手に動き出している。その動きようによっては、言葉を生み出した人は自らの行為に後悔することもあるようです。

 少なくとも私は、軽はずみに仙人を仙人と名付けたことを後悔いたしました。まさかこんなに広まるなんて。これに懲りて、以降は人の外見であだ名をつけることはなくなりました。

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