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誰も知らない陰謀論

 何かとつけて嘘をつく友人がいるんです。仮に嘘山さんとしておきますけれど、嘘山さんはもう、こっちが油断すると嘘ばかりつく。ただし、嘘山さんがその辺の詐欺師と違うのは、嘘山さんはどう考えても嘘と分かる嘘をつくんです。だから、周囲の友人知人は誰も嘘山さんを警戒しませんし、何なら人望があるくらいです。

 その昔、上野動物園で生まれたジャイアントパンダの赤ちゃんが残念ながら亡くなってしまった、という出来事がありました。すると嘘山さんは私にこう囁いてきました。

「あのニュースはフェイクだよ。パンダは死んでない」

 どういうことかと問いかけますと、嘘山さんは真剣な様子でこう主張します。

「パンダを隠すためのニュースだよ。パンダは成長したら中国に返さなきゃいけない。だから適当な理由で死んだことにして、日本で秘密裏に育てようとしているんだ」

 誰も言っていない陰謀論をどうしてこんな大真面目に言えるんでしょうか。当然ながら、私はつい「そんなわけないじゃん」とツッコんでしまいました。しかし、嘘山さんは納得できずに言い返します。

「見てもないのにどうして否定できるんですか」

 ないと証明するのは難しい。いわゆる「悪魔の証明」というやつです。確かに、上野動物園がたびたび情報を公開してくれているとは言え、ジャイアントパンダの飼育は我々一般人には確認できないところが非常に多い。でも、私たちは即座に嘘山さんの陰謀論に「ない」と判断するわけです。これはどういうことでしょう。我々は適当に物事を判断しているのでしょうか。

 恐らく違います。確かに、世の中の大半は私たちが見聞きしていないものであり、世界は分からないことだらけです。でも、分からないものの中でも明らかに違うものは見つけられる。

 例えば、身体の調子が悪いのに見知らぬ街に放り投げられたとします。病院に行きたいけど、どこに何があるか全く分からない。その上、周囲には人がいない。絶望的な状況ですが、とりあえず人を探して歩き回ったり、その場に留まって誰か近くを通るのを待ったり、分からないなりに行動すると思うんです。だからと言って「ここに病院があるはずだ」と叫んで地面を掘り始めるのは絶対に違う。

 正解が分からなくても明らかな間違いが分かることは珍しくありません。そして、そういう明らかな間違いを取り除くことで正解に近づくやり方もあるわけです。

 ここまで考えて、嘘山さんのくだらない嘘で何を真剣になっているんだと思った次第です。それくらい嘘山さんから日々嘘を投げつけられまくっていると考えてくだされば幸いです。

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