ユニバーサル小噺を失いたくないあまりに
持とうとしなくても特殊な性質を持ってしまう場合があります。というか、持とうとしないのに持ってしまった方が多いでしょう。
私の場合は、本場アメリカのユニバーサルスタジオへは行ったことがあるのに、それより圧倒的に近いUSJへ行ったことがないという、特殊な性質を持っています。もちろん、狙ったわけではなく、たまたまそうなってしまったんです。
たまたまそうなってしまったとは言え、話のネタにはなるんです。こんな短い小噺で、ちょっと相手を噴き出させるくらいの効果はある。便利すぎて、一時期は結構な頻度で使っていましたし、今だって隙あらば雑談に挟み込もうとしている自分がいます。
そうなると、だんだん「この状態を維持した方がいいんじゃないか」と思えてくるわけです。もともと自分から積極的に誰かをUSJに誘ってはいませんでしたけれども、より一層しなくなりました。友人知人がUSJの話を始めると、まさか行こうと誘われるんじゃないかと思い、緊張レベルが4つくらい上がるようになりました。
無意識下でもUSJを避けているのか、引っ越しをするたびにUSJから遠ざかってもいます。もう充分USJから離れているのに、まだダメ押しで逆方向へ引っ越す。軽い小噺をひとつ失うのがそんなに嫌かと、さすがに自問自答始めました。
何となくUSJを避けるようになって結構な年数が経ちますと、さすがにどうかと思うようになりました。わざわざ友人知人から「USJに行かない?」と誘われても「ちょっと小噺が」「特殊な性質が」と言って断るのはどうかと思いますし、ひとつの小噺が失わる状況に悲しみを抱きながらUSJの門をくぐるのもなんか大人げない。
そこで思いついたのは、別の特殊性質を心の拠り所にする方法です。私はユニバーサル小噺と似た性質のネタとして、英語版ウィキペディアの編集経験はあるけど日本語版ウィキペディアの編集経験はないというものがあります。これも狙ったものではないというか、もともとウィキペディアの編集自体をほとんどしたことがないのですが、諸事情があって特殊性質となった次第です。
ウィキペディア小噺の方は他人にしたことがないのでどれだけウケるかは分かりませんが、ユニバーサル小噺と異なり、友人知人から「一緒にウィキペディアを編集しない?」と誘われる可能性がほぼゼロという利点があります。利点と言っていいのか分かりませんけど、とにかくそうなんです。だから、ユニバーサル小噺を失ったあとは、ウィキペディア小噺を活用していけばいいのではないかと、そう思ったんです。
もちろん、「代わりになるのか」との疑問がすぐ浮かびました。何なら、別に「小噺をひとつ失った」という小噺を作ればいい気がしたので、ウィキペディア小噺は一旦お蔵入りとなりました。なので皆様も宜しければ私のウィキペディア小噺はご内密にお願いします。
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