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みつまJAPAN'さんで見るウィキペディア

 ウィキペディアの存在を知り、見始めるようになったのは2007年前後だったと思います。最初は、「ユーザーが自由に記事を執筆できるフリーの百科事典」という革新性は全く知らず、ただ単に「なんか便利なサイトがあるな」と喜んで使い倒していた記憶があります。

 何しろ、当時には既にお笑い芸人の記事もたくさんあったんです。もちろん、情報の正確性が問題なのは当時から言われておりましたけれども、それ以上に膨大な情報が魅力でした。検索ボックスに思いつく限りの芸人の名前を入れ、記事がヒットすればとりあえず読んでみる。相当な時間を費やしたことでしょう。

 やがて、私はウィキペディアに記事がある芸人とない芸人がいる点に気づきました。その差は何だろう。私は知名度が大きな要因だと短絡的に決めつけました。そうなれば、次なる疑問はこれです。「どの辺の芸人ならばウィキペディアにギリギリ載るのか」。

 いろんな芸人の名前を検索ボックスに入れているうち、私はとある芸人の辿り着きました。「みつまJAPAN」、松村邦洋さん唯一の弟子であるピン芸人です。1988年デビューなので当時でもベテランの部類に入っていましたが、テレビではたまに見る程度で、知名度はお世辞にもそこまで高くない。そこで検索した結果、彼の記事はヒットしましたが、書かれた文章はたった1行でした。その文章量の衝撃のせいで内容はうろ覚えですが、確か芸人である旨と出身地が書かれているだけでした。私は確信しました。みつまJAPANさんがウィキペディアでギリギリ記事になる芸人だと。

 それから15年近く経ちました。ウィキペディアは知名度が上がるにつれて、様々な出来事に巻き込まれてゆきます。自称有名人の方々が自分の記事を作って軒並み削除されたり、特定の記事で猛烈な編集合戦が起きたり、時々やる寄付のお願いをみんなにいじられたり、それでもウィキペディアは人気サイトとして存在し続けています。

 私は3年に1回のペースでみつまJAPANさんの記事を見てきましたが、彼の記事は削除されることなく、激動の時代を生き延びてきました。それどころか、年月が経つにつれて加筆され、記事のレイアウトが整っていきました。実は「みつまJAPAN'」に改名していたことも記述され、身長や体重、経歴、持ちネタ、出演番組など、徐々に情報が充実していきました。当然ながら、情報の出典も記されています。

 ウィキペディアの記事を建築物に例えるならば、私が初めて見た時のみつまJAPAN'さんの記事は荒れ地に割りばしが1本だけ突き刺さってる状態でした。そこから、荒れ地に資材が集まり、それが組み立てられて壁ができ、床ができ、屋根ができ、空調も電気設備も整い、決して大きくはないものの、立派な戸建てが出来上がりました。何ならウォシュレットだってついちゃった。そんな感じです。

 何より驚くのは、世の中にはみつまJAPAN'さんのプロフィールを知っている上に、それをウィキペディアに書き込む手間を惜しまない人類がいる点です。世界は広いかどうか知りませんが、深いのは間違いないようです。


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