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忘れ物に寛容な社会

 働き始めて何がビックリしたって、忘れ物に寛容なのがビックリしました。

 子供の頃、私は忘れ物にとても悩まされていました。教科書、ノート、プリント、筆記具、調理実習の食材から夏休みの自由研究まで、多彩な忘れ物をしてきたんです。火曜日の次に水曜日が来ることを忘れ、木曜日の時間割で教科書を持ってきた時は大変でした。その日に受ける授業の大半は教科書がない状態で過ごさなければいけないからです。

 今の学校はどうか知りませんが、当時、私が通っていた学校では、授業前に先生のところへ行って忘れ物を申告するというシステムがありました。忘れれば当然ながら先生に叱られます。気弱な子供にはこれがつらかったんです。授業が始まるとみんなの前で改めて叱られることもありましたし、機嫌が悪い時なんか相当に怒鳴られます。子供にとって怒り狂う大人は恐怖でしかありません。というか、怒り狂う大人は大人にとっても怖いんだから、子供にはなお怖い。だから、こういう事態は防ぎたいと思うんです。相手も教師ですから、そういう風にうながす目的ではあったと思うんです。

 しかし、どう頑張っても忘れ物が止まりません。何しろ、水曜日と木曜日を間違えるような人間です。時間割表とにらめっこをしてランドセルに教科書を詰めても、教室で開けると入れたはずの教科書がないんです。高度な手品のように、綺麗に紛失している。不思議に思って家に帰ると、教科書が机の上に置いてあったり、本棚に収まったままだったりするんです。

 結果として、先生へ忘れ物を申告せずに何とかする方法を模索するようになりました。隣のクラスの子から教科書を借りたり、いらないプリントの裏側をノート代わりに使ったり、同じゴムだから何とかなるだろと輪ゴムを消しゴム代わりに使ったこともあります。

 もちろん、バレたらみんなの前で先生に激怒される運命が待っているわけですが、先生に怒られるのが嫌だった私には、少しでも怒られない方向に舵を切ったわけです。「正直に言ったってみんなの前で叱られるんだから、いつバレても一緒だろう」の精神です。

 大人になった私はと申しますと、忘れ物で怒られることはほとんどなくなりました。もちろん、物忘れが激しい人間なりに成長して、多少はしっかりするようになったのもあります。ただ、他にも理由はございます。

 そもそも会社は学校のように、持って行くものが毎日変わるようなことがまずありません。それに、私が経験した限りでは、仕事で必要なものは職場に置いておくことが大半ですが、学校では教科書やノートを置いておくことはなぜか許されませんでした。つまり、学校は忘れ物をしやすいシステムだったわけです。

 その上で、冒頭にも書いた通り、教師以外の大人は忘れ物に寛容なんです。みんな忘れ物をした経験があるからか、「人はどうしたって忘れ物をする」という考えが根付いているようで、忘れ物があることを前提に動いている節さえ感じられる。とある研修に行った時は、事前に配布された書類を持ってくるよう言われていましたが、会場では忘れた人のために予備の書類が用意されていました。「何だよ極楽かよここは」と驚いたものです。

 当然ながら、中には代わりの利かない忘れ物もありはします。でも、みんなの前で激怒されるとか、そういう嫌な目には滅多に遭いません。忘れた本人が何とかできれば不問に付されることも珍しくない。あの頃の教師に比べてなんて出来た人たちなんだと今でもついつい思ってしまいます。

 仕事には仕事の厳しさがありますし、仕事に就く前からそれは何となく知っていました。だから、忘れ物への寛容さは本当に驚きました。こんなにも忘れ物に緩い世界が今でもどこか信じられなくて、長期にわたってドッキリをかけられているのではないかとの不安を抱いてしまうほどです。

 今の学校も当時より寛容であればいいなあと思う私です。

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