言葉遣いから見るR-1グランプリ2024決勝の感想
いいネタはいい文章でできていることが多いのではなかろうか。そんな偏見のもと、時々ネタを文章に起こしては、いろいろ細かく調べて考えて感想を垂れ流す、というようなことをしています。
今回は2024年3月9日に開催されたR-1グランプリ2024です。基本的にはファーストラウンドのネタ順に紹介しておりまして、例外的に優勝者のみラストにしてあります。
基本的にはネタ中のセリフ、それからフリップまたはモニターの文章などを引用し、それを受けて感想を書いていくスタイルとなっております。その際、読みやすさを重視するため細部を変更したり、カッコ書きで注釈を加えている部分がございます。また、敬称略になっている部分もございますので、ご了承ください。
それでは、早速参ります。
1.真輝志 ――ギリギリ架空の単語を用いて笑いと現実味を保つ
真輝志さんが披露されたのは、新入生が入部をきっかけに起こる未来を語るナレーションへツッコむコントでした。
引用箇所はネタの中盤辺りです。
ネタの肝にもなっている「軟式ラグビー」ですが、検索しても該当する競技がほとんどと言っていいほど出てきません。恐らくは架空の競技を作ったのだと思われます。なぜなのでしょうか。
考えられるのは、特定の競技を悪く言わないよう配慮した可能性です。「ほんまに何でもええわけちゃうわ」は、強い否定の表現を用いたツッコミであるため、該当するスポーツを愛好している方々には笑ってもらえない危険性が出てきます。そこで架空の競技を採用した。
ここで問題になってくるのが、競技名です。架空の競技名を作るにしても、耳で聞いてスポーツの競技だと分からなければいけませんし、スポーツと分かったとしても、明らかにあり得ない競技だとリアリティがなくなります。敢えて現実味の薄いスポーツを作って笑いを取る方法ももちろんあるでしょうが、あくまで特定の世界の中で、キチンとリアリティを出していくタイプのコントでは使いづらい手法だと考えられます。
そういう意味では「軟式ラグビー」という言葉は絶妙です。軟式野球や軟式テニスのように、広く知られた軟式競技があるため、「ラグビーもあるのか」と思わせるリアリティがございます。「あんなガッシリとボールを掴む競技でフニャフニャボールを用いて大丈夫なのか」と思わせることもできるでしょうし、ラグビー愛好家からは「そんなもんないよ」という笑いを誘える。それでいて「ほんまに何でもええわけちゃうわ」のツッコミがちゃんと成り立ちます。また、軟式とは言えラグビーですから、将来アイドルになる女性から惚れられる部分もきちんとある。
「軟式ラグビー」なる競技を用いたのは、そのようないくつもの理由によると考えられます。
2.ルシファー吉岡 ――繰り返し説明する必然性を強固にする会話
ルシファー吉岡さんが披露されたのは、1本目が結婚相談所のコント、2本目が隣の家へ騒音の苦情を言いに来た方のコントでございました。
引用箇所は1本目の冒頭です。
吉岡さんの人柄も相まってリアリティのあるコントとなっています。注目点としては、自然な会話でありながら状況説明がしっかりされている点がございます。例えば、「こういった婚活パーティーは初めてですか?」という、婚活パーティーでありがちな質問をひとつ添えることで状況をしっかり説明しており、更に直前の自己紹介に必然性を持たせています。その後も、自己紹介タイムのシステムや、手持ちの札、フリータイムが後にある、説明を受けたはずなのに女性がシステムを理解してない、会場に運営がいる、などの情報が無駄なく盛り込まれ、なおかつ自然な会話に加工されています。もちろん、その後の展開に対する伏線としての機能も持たせています。
何より優れているのは、「似たような場面の繰り返し」や「説明口調」の必然性が強力に存在している点です。どちらもお笑いのネタでは非常によく用いられる手法で、今大会でも用いている方が何人もいらっしゃいます。「ネタとはそういうものだ」との認識で全然乗り越えられる違和感ではございますけれども、このネタの場合は「婚活パーティーの自己紹介タイム」という、そもそもが似たようなことを繰り返す場面を切り取ったネタでございますし、「相手がシステムを理解していない」ために説明をしなければいけない形となっています。つまり、繰り返しの説明が非常に自然である。
繰り返しと説明の違和感があらかじめ取り払われているため、中盤から後半にかけての「自分が同じことを繰り返し説明しなければいけない」というおかしさが際立っています。お笑い芸人のネタは数あれど、繰り返しと説明の必然性がここまであるネタはほぼ存在せず、今大会でも唯一と言っていい状態です。トップ通過は当然の評価だと思われます。
3.kento fukaya ――観客の目線を意識した言葉選び
kento fukayaさんが披露したのは、マッチングアプリをモニターで映しながらおこなうコントでした。
引用部分はネタの後半、何人もの男性のプロフィールを次々に見ていくところです。とある男性のプロフィールがこうなっていました。
そのうち、fukayaさんが触れたのは職業欄の「自称AI」だけですが、他の欄でもボケていることが分かります。職業欄のところだけを見てもらっても充分に笑えるポイントは分かりますが、その周辺まで見る観客に対して追加で笑えるポイントが用意されている仕組みになっています。
しかし、全ての男性プロフィールがそのようになっているわけではありません。例えば、kento fukayaさん扮する女性が背景に写っている男性のプロフィールは以下の通りです。
この場合は視線が画像のほうに行くことを考慮してか、プロフィールは極めて普通です。ボケが入っていない。プロフィールにボケを入れるやり方もあったでしょうが、観客を画像に集中してもらうため入れなかったものと考えられます。
4.寺田寛明 ――情報を正確に伝えるための 口頭と記述の使い分け
寺田寛明さんが披露したのは、国語辞典に動画サイトのコメント欄みたいなものがあったらこうなるだろうという予測を、モニターを使って紹介していくネタでした。
引用部分は慣用句「白い目で見る」の由来です。
このネタの基本的な流れとしては、まず言葉とその意味を紹介し、必要があれば具体的な用法や言葉の由来を説明して、そのあとにコメント欄を見せていきます。あとはそれを何度か繰り返してゆく構成になっています。
前提としてモニターに出てくる文字数はかなり少なくしており、補足説明を口頭でしています。モニターの文字をあまりたくさん読ませるのは観客の負担になりますし、ネタに集中してもらえない危険性があるためだと考えられます。
そうなると、由来の部分も口頭でするという選択肢もあったわけです。実際、「月夜の蟹」の由来は口頭で済ませています。一方で「白い目」は由来をモニターでしっかり映している。この差はどこから来ているのでしょうか。
最も考えられる理由は耳で聞いて文章が理解しやすいかどうかです。そういう意味では、上記の文章での鬼門は「中国の思想家 阮籍」の部分でしょう。もちろん、「昔の中国の人物だから聞き慣れない名前でもしょうがないだろう」と思って聞く方もいるでしょうけれども、聞いてて「ん?」となってしまう観客もいるかもしれない。
故事成語はどうしても中国由来になりがちなため、耳で聞き取りづらい言葉が出てきてしまいます。そのため、口頭で説明するとちょっと分かりづらい。そのちょっとの分かりづらさをフォローするため、モニターで映すにしてはやや長めの言葉を敢えて出したのだと思います。もちろん、出し方には気を遣っておりまして、由来を一度に全部出すのではなく、2行ずつ出して読みやすくしています。
また、上記引用部分にはもうひとつ特徴があります。句読点がないんです。「、」や「。」の類ですね。句読点がない代わりに改行を使って読みやすくしています。2行目の「中国の思想家 阮籍は」では「思想家」と「阮籍」の間に半角スペースを入れて読点のような役割を果しています。
理由はいろいろ考えられると思います。まず、コメント欄っぽい形にした可能性があります。コメント欄は句読点が少ない傾向が強く、今回のネタもコメント部分は句読点をほとんど使っていません。基本的にコメント欄は文字数が少なく、スマートフォンの場合は入力が面倒なため、句読点が少なくなるのではないかと考えられます。
もうひとつ理由をあげますと、デザイン上の問題があると思います。例えば、「白い目」の由来に句読点をつけるとこんな感じになります。
個人の感覚にもよるので断言は難しいですが、ちょっと読みづらくなった方もいらっしゃると思います。点や丸が飛び出ていて気になる人もいるかもしれない。
今回は強調するため敢えて多めに句読点をつけております。ふたつの「は」の後の読点(、)はなくてもいいでしょう。「思想家、阮籍」のところは「思想家・阮籍」とか「思想家『阮籍』」とか別の記号を用いてもいい。原文のように半角スペースを使う方法も当然ながら有効です。
いずれにしろ、句読点がないよりはあったほうが文章としての情報量は増すため、読むのがほんの少しだけ大変になるのは事実です。そのために、句読点などの記号を全て取っ払った可能性が考えられます。
そうなると、疑問がひとつ残ります。「逆鱗」の由来を説明する部分です。
1行目にだけ読点がついてるんです。これは一体どういうことなのでしょうか。うっかりつけてしまったのか、何か明確な意味があるのか。いろいろ考えましたが、今のところは謎です。
5.サツマカワRPG ――非言語の音に複数の目的を持たせる
サツマカワRPGさんが披露したのは、学校へ防犯について教えに来た人のコントでした。
引用部分は中盤に差し掛かった辺りのところです。
防犯ブザーの音がネタの肝となっておりまして、そのために様々な活用がされています。ブザーの音が同じでも、意味が異なっている場合もありました。例えば、防犯ブザーは本来、周囲に危険を知らせる目的で鳴らされますけれども、上記の引用部分では抗議の目的で鳴らされています。
お父さんの肉声を防犯ブザーの音にした子をなじる場面でも、異なるブザー音の活用をしています。
追い詰められた子を助けるために用いており、サツマカワさんのセリフはそれを受けてのものと考えられます。
言語でも同じ言葉で意味が違うことは往々にしてございますけれども、それを音でやったわけですね。
6.吉住 ――敢えて具体性を取り払い際どさを薄める
吉住さんが披露したのは、1本目はデモの参加者がそのまま彼氏の実家へ行ってご両親に結婚のお願いをするコントで、2本目はたまたま彼氏の職場に駆け付けた鑑識のコントでした。
引用部分は1本目の前半のところです。
デモと結婚の挨拶という、ふたつのミスマッチを敢えてくっつけた構成となっておりますけれども、意外と具体的な表現がございません。「政治家の汚職」とは言ってますが、誰が何をしたのかほとんど触れていない。
典型的なのがプラカートです。書かれていたのは以下の文章です。
こちらに至っては誰が何を許さないのかが全く書かれていません。固有名詞どころか代名詞もない。
恐らくは何かを連想させるような単語を徹底的に避けたのだと考えられます。あくまでも広い意味でのデモ活動のみを用いたわけであり、特定の人や考えをいじらないようにしたのかもしれません。敢えて際どいテーマを用いているため、そのような形でバランスを取ったものと考えられます。
7.トンツカタンお抹茶 ――歌による繰り返しを効果的に使う
お抹茶さんが披露したのは、かりんとうで作った車の歌でございました。
引用部分は歌詞のサビにあたる部分です。
ルシファー吉岡さんのところでも触れましたけれども、お笑いのネタではしばしば似たような場面を繰り返す形が用いられます。「お笑いのネタとはそういうものだ」という風に割り切って見ることも可能ではございますが、違和感を抱く方がいても不思議ではございません。
そんな違和感を軽減もしくは取り払える手法はいろいろあるかと存じますが、歌もまた同様です。ですから、冒頭で「かりんとうの車」と何度も繰り返して、舞台にある車の素材が何なのかを観客に理解してもらうこともできれば、引用部分のように「雨が降ったら終わり」と繰り返して雨が天敵である点をしっかり認識してもらえるわけです。そのため、雨の中で車に敬礼するという、比較的説明の少ないオチでもキチンと意味が通じるようになっております。
8.どくさいスイッチ企画 ――説明を強いられる中で一言に集約された言葉
どくさいスイッチ企画さんが披露されたのは、ツチノコを発見した男性の人生をダイジェストでお送りするコントでした。
引用部分は後半から終盤に差し掛かった辺りのところです。
こちらは、たまたまツチノコを見つけて金持ちになった父親が、無謀な夢を追う息子に口答えされて言ったセリフでございます。
ピン芸人のコントはしばしば姿が見えない相手との会話する形になっています。見えない相手のセリフは聞こえず、舞台上では演者が沈黙することで話を聞いている体にしています。そして、演者がそれに答える形で会話を進めてゆく。それにより、誰かと会話していることを表現しています。
当然ながらコント上は演者のセリフしか聞こえません。そのため、見えない相手のセリフを繰り返したり、妙に説明口調になったりと、不自然な会話になってしまう場合が往々にしてあります。この違和感が曲者で、しばしば笑いを阻害したりします。
R-1の決勝に来るレベルの方ですと、大前提としてその辺の問題を解消されたネタを用意してくる場合が非常に多いです。このネタも基本的にはそうです。
ただ、このネタの場合は会話に加えて、人生の重要な場面へ次々に飛んで行くという構成をうまく説明する必要があるわけです。各場面の冒頭で「3年後」などと時期を口頭で言うところを筆頭に、限られたセリフでどのような場面かをうまく言い表す必要が出てくる。必然的に状況を説明するための単語が増えてきます。
その中においてかなり決まっていたのが引用部分です。たまたま富を得た父親が、無謀な夢を追う息子に説教をする。その場面が分かっただけでも、何が面白いのか観客は察すると思います。「お前が言うな」的な部分ですね。そこへ来て「今ツチノコ関係ないだろう」と言うことで、息子がどのようなことを言ったのか、観客は容易に想像できます。今までの場面がフリになっているため、言葉の長さの割に、父親の特殊な半生を説明できているかなり強力な一言でございまして、その直後の「確かにお父さんは何の努力もせず莫大な富を」云々の説明がなくても成り立つくらいです。ただし、実際は息子が父親の制止を振り切る場面へ繋げるための役割を持っているため、「莫大な富」のくだりを入れたのだと考えられます。
9.街裏ぴんく ――頑なな否定で嘘を強力に提示する
ご存じ通り、街裏ぴんくさんが披露されたのは、1本目がプールで文豪と出会ったという嘘漫談、2本目がモーニング娘。の初期メンバーだったという嘘漫談でした。
引用部分は冒頭です。まず1本目から。
言ってることが大体嘘という漫談を披露したわけですが、重要なのはそれが嘘ばかりだと観客に認識してもらう点です。嘘か本当か分からないとネタで言ってるのかマジで間違えているのかも分からず、観客が不安を抱く危険性が出てきます。そうかと言って「これは嘘ですからね」と言ってしまうのは、もちろん例外はありますけれども、観客を興ざめさせてしまうかもしれない。
そのため、このネタでは「ほんまやって。こんな嘘ついてたらヤバいやつじゃないですか」と強く言い切ることで、何もそんなにと言うほど頑なに否定していると観客に思わせ、それによって「彼は大嘘をついている」と認識してもらえる形になっています。
もちろん、他にも表現に気を遣っておりまして、「CMの間に着替えましたルシファー吉岡です」や「こう見えても女芸人ですからね」など、冒頭で明らかな嘘を織り交ぜることで、観客を嘘漫談に慣れてもらう構成となっています。
2本目の序盤も同じような手法を用いています。
頑なに事実だと言い張って笑いを誘うと共に、こちらもまた嘘漫談するという宣言にもなっています。これにより、観客は改めて、安心して嘘を楽しめるようになったと考えられます。
今回の感想は以上となります。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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