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マンションにそびえる天然のあばら家

 変な日本語Tシャツを海外の方が着ているならば、「ああ意味を知らずに着ているんだろうな」と思う余地があるんですけれども、明らかに日本人が変な日本語Tシャツを着ている場合はどうなんでしょう。すれ違う人を失笑させたいのか、遠くからスマホで撮られてSNSに載せられたいのか。いずれにしろ、Tシャツによる周囲の反応を期待しての所業だと思われます。言い換えれば意図的な行為であり、不幸な偶然が積み重なって「耳毛大王」と書かれたTシャツを着ているわけではないのです。そんな大王は世にいたためしがありません。

 意図的な行為は往々にして天然に敗れるという宿命を背負っています。先日、変な日本語Tシャツを着ている男性と駅ですれ違ったんです。黒地のシャツに白い字で書かれていたのは「監督 黒澤明」でした。熱烈な黒澤明ファンである可能性ももちろんございましたけれども、周囲の反応を期待している可能性も否定できない、なかなか微妙なラインにある変な日本語Tシャツです。

 どんな人が着ているのだと、私、思わずシャツの字から着てる方の顔へと視線をずらしたんです。これがまた嘉門達夫さんにそっくりだったんです。体格からサングラスの形まで激似でした。あまりの瓜二つに「誰が誰を名乗っているんだ」というツッコミをつい心の中でしてしまった次第です。「あなたはコミックソングの名手だろう」と。

 Tシャツは恐らく意図的でしょうが、抜群の嘉門達夫さんらしさは意図的じゃない、つまり天然だと思います。そして、やっぱり天然のほうが意図してない分だけ自然でインパクトが強い。そう痛感いたしました。

 それは別にTシャツや人の外見に限った話ではありません。電車に座ってぼんやり窓の景色を眺めていてもそれを実感する時があります。

 建物は基本的に実用性を重視されるせいか、比較的、似たような形になっているように見えます。アンドロイドでも住んでそうなものすごい近未来的な外見だけども玄関がないとかじゃ話になりませんから当然と言えば当然です。

 ただ、たまにチャレンジングな外観の建物があるのもまた事実です。多くは商業施設だったり公共施設だったり、ちょっと目立った方が得しそうな性質の施設です。これらの建物は奇抜な外観ではありますし、それゆえに目立ちます。しかし、景色を眺めていると、やっぱり目立つのは意図せずに特殊な外見になったものなんです。

 筆頭は周囲に比べてやたらと古い建物です。閑静な住宅地の中に、素人目でも築年数の桁が明らかに違うあばら家があったりする。2度の世界大戦を切り抜けたと言われても信じてしまうレベルに古びた家は、庭の草木は当たり前のようにボーボーで、夏場はやぶ蚊の楽園になっているに違いありません。

 更にこういうパターンもありました。とある場所に、地上5階建ての綺麗なマンションがあったんです。出来上がってそこまで年数が経っていないはずです。しかし、その屋上に増設されたであろう小屋がビックリするくらいボロボロなんです。壁は茶色いサビで汚れまくり、元気な暴れん坊が3人もいれば30分で平らにできそうな状態です。

 マンションの屋上に小屋を増設しているところはたまに見かけますけれども、新築同然のマンション屋上にわざわざ骨董品まがいの小屋を建てるのは一体どういうことでしょうか。小屋を建てたかったけれども、資金をマンションで使い尽くしたため、ボロボロのものしか用意できなかったのでしょうか。それとも、オーナーにとっては思い入れのある小屋だったとでも言うのでしょうか。それにしたって、ミスマッチが過ぎます。せっかく綺麗なドレスで着飾っているのに、肩にゾンビの頭を乗せてしまうに等しい行為ではございませんか。

 いずれにしろ、あのボロ小屋は目立ちたくてやっているのではなく、天然だとにらんでいます。

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