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アリとキリギリスに反発を抱いた人々

 「アリとキリギリス」と言えば、イソップ物語でも有名な作品のひとつでございます。夏にキリギリスは勤勉に食料を集めるアリを見て驚きますが、冬になるとキリギリスはアリに食べ物をもらいに行く羽目になります。するとアリは「我々は夏のうちから冬のために備えてたんですよ」なんて諭す。

 軽く調べたら、歴史がある物語にはありがちですが、いろんなバージョンが伝わっているようです。どのバージョンでもアリはアリで固定されていますが、キリギリスはセミだったりバッタだったりコオロギだったり、センチコガネなんてパターンもあるようです。どうも物語が伝わった地域に馴染みのある昆虫に変えられていたみたいです。

 物語自体も、キリギリスが夏にアリを馬鹿にし、冬になってアリから「夏に遊んでたからそうなるんだ」とたしなめられる、なんてバージョンがあります。他にも、アリに「君は夏に何してたの」と問われたキリギリスが「歌ってた」と答えたものだから、アリから「じゃあ冬は踊ればいいじゃないか」と、なかなかきつい一撃を食らわされるバージョンもあるようです。他にも、ウォルト・ディズニーが制作した短編映画では、当時の政権に配慮して、アリが食べ物を分けてあげる代わりにキリギリスがヴァイオリンを演奏する結末になったとか。物語は時代や環境によって変化してゆく性質があるようです。

 そんな変遷がありつつも、一貫して将来に備えることの大切さを説き、何だかんだ勤勉なほうがいいよね、と主張しているのが「アリとキリギリス」です。ちゃんとした主張と言えば確かにそうです。ただ、なかなか万能な主張というものはございませんで、大抵は多かれ少なかれ反論や反発を招くものです。

 イギリス文学のビッグネームであるサマセット・モームも反発したひとりでした。モームは子供の頃に「アリとキリギリス」を読んでキリギリスに同情し、アリを憎み、ついに自分で新しい話を考えてしまいました。アリはジョージ、キリギリスはトムという人間に置き換えられ、日々遊びまくるトムを見たジョージは「あいつは絶対ロクな晩年を送らないぞ」と思っていたんですが、トムはだいぶ年上の金持ちと結婚し、彼女の遺産を引き継いで大金をゲットするという流れのようです。

 以上の話はウィキペディアからの抜粋ではございますが、友人からもこれに近い話を聞きました。

 その友人は読書家で、幼少期には図書館の絵本を片っ端から読みまくっていたそうです。中でも印象深かった作品のひとつにレオ・レオニの「フレデリック」です。レオ・レオニと言えば「スイミー」が有名でございますが、友人としては「フレデリック」がよかったそうです。以下、「フレデリック」のあらすじが途中まで出てきますが、ご容赦くださいませ。

 友人は「フレデリック」を一言でこう表しました。「これは反『アリとキリギリス』だと思う」。

 フレデリックはネズミの名前で、ポジションとしてはキリギリスに当たります。そして、アリのポジションは仲間のネズミたちが担っています。フレデリックはキリギリス担当ですから、仲間が冬に備えて食料を溜め込んでいる間、1匹だけ全然別のことをしています。そして、冬がやってくる。

 「アリとキリギリス」とは異なり、フレデリックは他のネズミと仲間同士でございますから、同じ巣穴で寒さを凌ぎます。関係性も良好のようで、仲間と一緒に食事だってする。しかし、食料は徐々に少なくなり、寒さで体は凍えてくる。口数も少なくなります。そこでフレデリックが冬の前に「準備」してきたものを披露し、食料以外の方面から仲間を助けるという流れになっています。

 友人は「個人的な感想だけど」と断りを入れてこう言いました。

「レオ・レオニは『アリとキリギリス』を読んで、納得できなかった部分があったんじゃないかな」

 衣食住はあったほうがいいし、将来に向けて備えることも大切で、勤勉さが必要になる場合もあるでしょう。でも、必要なのはそれだけではない。そんな作者の気持ちから生まれたのがフレデリックだったのではないかというのが友人の考察でした。レオ・レオニが実際にどう考えていたのかはともかく、私としてはこうやって思い出せるくらいには印象に残った考察です。

 物語は長い時間を通して変化をしていきますし、本来の趣旨とは正反対の物語を生み出す場合もある。ちょっとした生き物であるかのようです。


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