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誤植を怒る人 vs 誤植を笑う人

 何となく調べ物をしていたら、ウィキペディアの「誤植」の項目が意外と充実していて、つい読んでしまいました。

 誤植、すなわち印刷による文字のミスは印刷された文章が思わぬ方向に変化する上、それが誰の意図でもないことから、往々にして独特なおかしさがあります。そういう意味では天然ボケに近い。笑えるものなら割と何でもいい私としては、面白い誤植も大好物です。

 そのせいか、校正の仕事も割と好きでした。と言っても、出来上がった印刷物を読んで先輩に「こんな間違いありました」と報告するだけのお仕事です。誰かがうっかりやらかしたアホな誤植を怖い先輩に真剣な表情で見せ、先輩が鼻水を出しそうなほど失笑すると、私の手柄では全然ないにもかかわらず、内心「ウケた」と喜んでいました。間違った仕事の楽しみ方の典型です。

 ウィキペディアの「誤植」の項目は、そんな私のような誤植好きによって並々ならぬ熱量で書かれているようで、往年のゲーム雑誌に掲載された有名な「ハンドルを右に」の誤植「インド人を右に」に至っては解説のための画像まで載っています。

ハンドルとインド人の思わぬ共通点

 貴重な時間を「インド人を右に」に費やすなんて、この世界はバカばかりで素晴らしい限りです。私もあやかりたい想いです。

 さて、そんな誤植は少なくともグーテンベルクの活版印刷からずっと起きてきたようで、要は印刷の歴史は誤植の歴史とイコールなわけです。印刷だって人がやることですから、当然ながら誤植は出てくる。そりゃあもう、どれだけ注意深くやっても不思議と出てきてしまうものなんです。聖書のような多くの人にとって大切なものでさえ、誤植からは免れません。

 以下、ウィキペディアから抜粋した文章です。

1631年にイギリス・ロンドンで印刷業者ロバート・バーカーによって印刷された欽定訳聖書は、のちに The Wicked Bible 、すなわち「姦淫聖書(邪悪聖書)」と呼ばれた。それは出エジプト記におけるモーセの十戒の第七条、"Thou shalt not commit adultery" (汝姦淫するなかれ)から、否定の not が抜け落ちたために、「汝姦淫すべし」となり、神が人々に姦淫を勧める聖書となってしまったからである。このためバーカーは高額の罰金を科されるも、支払えずに投獄されて獄死し、聖書は回収された。しかし、密かに隠して取っておいた者が何人もおり、現在も世界に11部残っているとされる。

 印刷屋のバーカーさんは本当に気の毒ですけれども、取っておいた人の気持ちがものすごく分かります。大切な聖書がこんな訳の分からないことになっているなんて、半笑いで裏の倉庫にしまっておきたくなるに決まっています。もし見つかっても「そういやあ、うちの曾祖父がこういうの好きだったんで……」と会ったこともない先祖のせいにして言い逃れすれば何とかなるでしょうし。

 聖書は本来の厳格さがフリになってしまいがちなのか、知性ゼロの誤植が出るたびにみんなで密かにネタにされてるようなんです。再びウィキペディアからの抜粋です。

1763年の欽定訳聖書では、詩編の"the fool hath said in his heart there is no God"(愚かな者は心のうちに神はないと言う)という一節を、no を落として"there is a God"(神はある)と誤植し、キリスト教徒で信仰の厚い者こそが馬鹿で悪である、という趣旨になった。印刷者には高額の罰金が科され、問題の聖書は回収された。
1580年にドイツで刊行された聖書では、出版屋の妻がひそかに印刷所に忍び入り、創世記の"Und er soll dein Herr sein."(彼は爾の主たるべし)とあるところを、勝手に活字を組み替えて"Und er soll dein Narr sein."(「彼は爾の馬鹿者たるべし」)とした。この聖書は、ヴォルフェンビュッテのアウグスト大公図書館に所蔵されている。

1717年刊行のクラレンドン・プレス版の聖書は、ルカ福音書第20章の表題を、"the Parable of the Vineyard"(葡萄畑の寓話)とすべきところを、"the Parable of the Vinegar"(酢の寓話)と誤植したため、「酢の聖書」と呼ばれている。

 真面目な人がやらかした人らを真面目に罰する一方で、不真面目な人が半笑いでネタにし、貴重な歴史的資料と化すまで無事に隠し持ったりしている。そういう構図って昔から全然変わってないんですね。なんだか安心しました。

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