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ポスティング業者対象エンターテイメント

 欲しがっている人へどうやってピンポイントへ物やサービスを送れるか。そんな方法が分かれば世の商売はもっと楽になってるわけで、だから皆さん現在も試行錯誤の真っ最中なんだと思います。

 広告もそのようです。そうじゃなかったら、動画を見ている最中に欲しくもない広告を挟み込まれてムッとすることもなくなるわけです。代わりに「おっ、こんなの発売されてんのか」と広告に対して少しはポジティブな反応になるはずなんです。技術や考え方の進歩で少しは効率的になっているのでしょうが、今のところはまだまだなんだと思います。

 郵便受けにチラシを入れるタイプの広告、いわゆるポスティングも同様です。ちょっと放置するだけで「いやいや、いらんて」みたいなチラシが大量に溜まるわけです。動画に挟み込まれるような映像の広告と異なり、要らないチラシはこっちが処理しなければいけない。何かに再利用できればいいほうで、ゴミ箱直行なんてザラです。控えめに言って手間がかかる。更に、本当に大切な手紙なんかがチラシに埋もれる場合もあるわけです。その昔、私もだらしないポストの使い方をしていたため、友人からの年賀状を3月に発掘したことがあります。

 ポスティングをするほうも効率の向上は長年の課題になっているようで、チラシによっては「一万部一」、つまりチラシを1万部まいて反応が1件あれば御の字みたいな話があります。軽く検索しても、そういうページがすぐに出てきました。

 つまり、チラシの「いらんて」率はものによっては9999/10000なわけで、現状、圧倒的大多数のチラシは「見られずポイ」ルートが決定づけられているんです。これはポスティングする側もされる側もしんどい。近年ではDXデジタルトランスフォーメーションなんかで何とかしようという動きもあるようなので、今後は変わってくるのかもしれません。

 ポスティングのヤバさを痛感するのは、ひとり暮らしを始めた人にとっての「あるある」だと思います。その昔、ひとり暮らしを始めたばかりの知人もポスティングの洗礼を浴びておりました。ここでは仮に山岡さんとしておきますけれども、チラシのあまりの溜まりっぷりに山岡さんは辟易しておりました。

「これ何とかなんないの」

 これには私も「いやあ、今んとこ何ともなんないね」と返すより他ありませんでした。どうやらポストの入口を塞ぎたいくらいチラシが入ってきたようなんですが、塞ぐと本当に必要なお便りが届かない。誰もが感じるジレンマに山岡さんも陥っていました。

「『チラシ不要です』って紙を貼るのはどうなの」
「昔、ポスティングしてた人のブログを見たことあるけど、それくらいじゃ全然入れちゃうみたいよ」

 何しろ、ポスティングをしている人は日々黙々とポストにチラシを入れる作業に勤しんでいるわけです。ですから、ポスティングに対する感覚が他の人と違う。入れられそうなら入れて、とっとと次へ行く。まさにプロの仕事です。

「メッセージは効果なしか」
「そういやあ、そのブログに『よっぽどヤバいメッセージが書かれていたらやめる』みたいなことも書いてあったな。『入れたチラシの企業は片っ端から訴えるからよろしくね』とか」

 山岡さんは「なるほど」呟くと、腕を組んで何やら考え始めました。

「ヤバいのがいいんだな」
「普通の人も寄り付かなくなりそうだけどね」
「そこは調整していくしかないな。郵便屋さんは大丈夫だけど、ポスティング業者は入れる気なくなるようなメッセージか」

 山岡さんは仕事の速さに定評がある方です。早速、次々とアイデアを提案します。「チラシを入れるとパンダに噛まれます」、「チラシを入れると全身の毛が抜けます」、「チラシを入れると膝の皿が2枚になります」。

「大喜利になってない?」
「しょうがないじゃん。何なら、週替わりでメッセージを変えて、入れられたチラシの数との相関を調べる」

 それを聞いた私には、「あのポストは週替わりで変なメッセージを出してて面白いぞ」とポスティング業者の間で話題になり、ポスティング業者のちょっとしたオアシス的存在として、そういう方々が集まるスポットになる未来が見えました。当然、普通のお宅より多めにチラシが集まります。

 そんな私の予測を山岡さんに伝えたら笑っていました。それからすぐ互いに違う部署へ異動になってしまったため、以降の進捗状況を聞けておりません。実際に週替わりメッセージをポストに提示しているかどうかは不明のままなんです。なんか残念なような、それでいて別に残念じゃないような、無駄に複雑な気持ちです。

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