見出し画像

芽生える線虫

 いつの世も「言っちゃいけないこと」があり、みんな多かれ少なかれ気をつけて生きてるわけです。アカデミックな分野も例外ではありません。学問の権威を笠に着て何でもズケズケ言ってたら大変な目に遭ってしまいます。生物学も当然この手のマナーが必須です。だからこそ、差別的だと捉えられかねない言葉が別の言葉に置き換わったりする。

 しかし、本当は言っちゃいけないはずなんだけど、学問的に触れなければならないものもあります。生物学ならば、いわゆる生殖の類です。出会い、交尾をして、子を産む。種として生き延びるために必ずせねばならない行為ですが、どうしても気を遣わねばならない。特に人のとなると細心の注意を払わねば、偉い教授だってこってり叱られる羽目になります。難しいところですが、皆さんいろいろと切り抜けて現在に至っています。

 そう言えば、学生時代に線虫の観察をしました。線虫とは別名「線形動物」と呼ばれ、文字通り細長い体をしています。

画像1

線虫の一種であるダイズシストセンチュウ(ウィキペディアより)

 小さな生き物のため、よほど狙って探さないと目につきませんが、種類が豊富で数自体は大量にいます。そして、大地はもちろん、植物や動物の体内でも生息しています。魚介類に寄生し、時に人へも害を与えるアニサキスが線虫の有名どころでしょう。かと思えば、がん診断に有効な線虫もいて、近々本格的な検査体制を整えるというニュースもございます。

 その時、私たちが観察した線虫は1ミリにも満たない小さなものでした。がんばれば何とか見えますが、じっくり観察するにはやっぱり顕微鏡です。レンズを覗けば確かに細長い半透明の物体が動いている。なるほどこれが線虫かと大いに納得しました。

 ちなみに線虫の多くは「雌雄異体」、つまり性別が存在します。修行が足りない私にはどれも半透明の線がウネウネしているようにしか見えませんが、どれかは男の子でどれかは女の子なのです。もう察しがつきましたね。男女がいれば出会いがある。出会いがあれば芽生えてしまう。

 きっかけはひとりの男子学生でした。変わった線虫がいると男性教官に報告があったのです。顕微鏡を覗いた教官は一言呟きました。「交尾してますね」。

 当時、既に女の子へ下ネタを言うのはよろしくないとされていましたから、教官はとりあえず私を含めた男子学生数名を呼びました。顕微鏡を覗くと確かに2匹の線虫がYの字に繋がっている。どっちが男の子でどっちが女の子かはサッパリ分かりませんが、とにかく出会って芽生えて交尾している。

 交尾を確認した者は学生も教官も等しく中年男性のようなにやけ顔になっていました。「いやあ昼間っからいけませんな」「まあ若い男女だから仕方がないんでしょう」「まさか線虫に嫉妬する日が来るとは」などと知性のかけらもない冗談が飛び交います。挙句の果てには顕微鏡での交尾観察を「出歯亀する」と言う始末。

 あんまり線虫について詳しくなれませんでしたが、当時の馬鹿話だけはしっかり記憶に残っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?