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芸人に豪快さは必要か

 お笑いを見ているとたまに「ニンを出す」という言葉が出てきます。主に漫才で用いられる言葉であり、私が見聞きした限りでは「本人が持っているキャラクターを出す」という意味で使われているようです。ウケやすくなる傾向が強いとされ、漫才では推奨される行為のひとつとなっています。

 変わった言葉だなあと思って軽く検索してみたんです。すると、Yahoo!知恵袋のページが引っ掛かってきました。

 質問者は落語の用語として尋ねています。当然ながら回答者も落語の用語として答えていまして、出典が何も示されていないので信憑性は不明ですが、どうやら歌舞伎から落語に伝わった言葉のようです。更に調べてみますと、歌舞伎のニンについて書かれたページが出てきました。

 ニンは仁だったんですね。上記サイトによりますと、「誰もが直感的に納得できる『雰囲気、らしさ』こそが、『仁』」であると書かれています。キャラクターと意味が完全に一致しているとは言えませんが、かなり似たような言葉ではあると思われます。

 現在のお笑いは落語との関係性が強く、「寄席」や「オチ」など落語の専門用語をそのまま使うことが非常に多いです。「ニン」に関してはどのような形でお笑い用語となったのか今のところは不明ではありますが、歌舞伎から落語に伝わり、そこからお笑いへ広がった可能性は充分に考えられます。そう言えば、「出囃子」も歌舞伎と落語、更にはお笑いでも使われている言葉です。現代のお笑いは落語を橋渡しとして、間接的に歌舞伎と繋がっているのかもしれません。

 それで思ったことがあります。お笑い芸人と言えば、豪快な人を理想像としがちなイメージがあります。何かに似てるなあと思ったんですが、歌舞伎役者にも似たような理想像があるように見受けられます。いわゆる「芸の肥やし」的なやつですね。派手な遊びが芸に繋がるとか、そういう論調だったと記憶しています。

 私は歌舞伎に詳しくないのでお笑い芸人に絞って書いてみますけれども、豪快な言動が芸に繋がる可能性に関しては否定いたしません。ただ、他にも芸を磨く道は普通にあるとは思います。

 例えば、豪快な芸人としてあげられがちな人として横山やすしさんがいらっしゃいます。豪快で面白い。それは確かなんですけれども、でも彼の相方は人並外れて真面目な人格者でおなじみの西川きよしさんなんです。ただ、西川さんが真面目だからつまらないかと言うとそんなことはないでしょう。むしろ極端な真面目さをいじられたりする。ウケを取るのに豪快さは必ずしも必要ないことが分かります。

 豪快な生き方を地で行く芸人を肯定的にとらえるのは何も芸人だけではなく、一部のお笑い好きもまたそのようなんです。例えば、有吉弘行さんは自身がパーソナリティを務めるラジオにて、その日暮らしをする後輩を面白がるファンの存在について言及していました。

 豪快さはどうして今も芸人の理想像みたいになっているんでしょうか。私個人としては、別に芸人に限った話ではなく、その手の豪快さには一定の魅力があるだけであり、それがたまたま芸人など表現の世界で生きる人たちはそれ以外の人よりも若干クローズアップされやすいのだと思っています。

 じゃあ、なんで豪快さには魅力があるのか。一番分かりやすい答えはやっぱり「普通では決して経験できないようなエピソードが話せて面白いから」でしょうね。自分じゃとてもやる気にはならないけれども、そういうことをした人のエピソードトークは新鮮に聞こえるものです。まあ、当たり前ですよね。とんでもないところに行ってきた冒険家の意味不明なエピソードなんて絶対聞いてみたいじゃないですか。

 もちろん、芸人にだってそういう方はいらっしゃいます。

事例1:ネタのために当時話題だった宗教団体に突撃した人の話

事例2:ネタのために北朝鮮でいろいろやってきた人の話

 こんなん面白いに決まってるんですが、誰にでもできることではありませんし、誰もがやり始めたらきっと人類は滅びてると思うんですよ。

 芸人の理想からは離れるのかもしれませんが、でも別に豪快でなくても面白くなれる方法はいくらでもあるわけです。お仕着せの理想像に自分を無理やり当てはめるよりも、地味でも自分なりにどうにかこうにかやってみるのがやっぱり大事だったりするんです。そうです、私も豪快さのかけらもない人間です。

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