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道徳の教科書が現実になる

 人の脳は大切なことや印象深いことを覚えているもんだと思っていたんですが、なんかどうでもいいこともしっかり記憶してるんですよね。メモリの無駄だと思うんですが、そんな私のパソコンやスマホにもなんで撮ったのか分からない画像が大量に眠っています。記憶とか記録ってそういうもんなのかもしれません。

 例えば、私が小学生をしていた頃に使っていた道徳の教科書です。表紙には数名の人物イラストが描かれていたんですけれども、クラスの男子数名がある点に気づきました。一番手前で体育座りをしているツインテールの女の子、彼女が何もはいてないように見えるというのです。

 女の子は長ズボンをはいていたんですけれども、布の色が彼女の肌の色とかなり似ていたんです。落ち着いて見れば明らかにズボンなんですけれども、いわゆるスキニーパンツだったこともあって一瞬「おいおい丸出しかよ」と錯覚してしまう。よくもまあこんなものを発見するものです。無駄に目ざとい男子たちです。よっぽど道徳の時間が暇だったに違いありません。

 その時はバカな男子がまたバカなことを言っていたという印象で、何なら私もちょっとそのバカに乗っかってたな、くらいの思い出で終わってたんです。

 それから十年以上も経ちまして、すっかり大人になりました私、用事で夜8時に川沿いの道を歩いていました。見上げれば真っ暗な夜空が広がっていて、等距離に置かれた電灯だけが頼りです。とは言え、当然ながら夜でも人が歩くことを想定しての電灯ですから、歩く分にはどうにかなるレベルの明かりはある。事実、向かいから来る人の姿は電灯に照らされてぼんやり浮かび上がってきます。相手もまた私の姿が暗闇からぼんやり浮かび上がっているに違いありません。

 安心と言えば安心なんですが、夜だし暗いし前から来るのはみんな知らない人だし、そこそこの不安は常にある状態です。とりあえず、夜の道を目的地に向かってひたすら急いでおりますと、また前から人の姿がぼんやりと浮かんできました。

 一瞬、息が止まりそうになりました。上半身裸の女性がリュックを背負って歩いてきていると思ったからです。近づいてみて、ようやくその女性がそれっぽい色の服を着ているだけだと分かりました。まあ、そうですよね。そんな人が道を歩いていたらすぐに騒ぎになっているはずですから。

 道徳の教科書でバカな話を聞いていた時は完全に冗談のつもりでしたが、まさか現実にこんな現象と出会うなんて思いませんでした。というか、相手の女性からしてみたら、怯えた顔で女性を睨みつけるこっちのほうがヤバい人だったに違いありません。その節は申し訳ございませんでした。

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