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我田引水、人を救う

 年齢を重ねるとつらの皮が厚くなるのを感じます。「面の皮が厚い」なんて、あまりいい意味で使われない言葉ですが、個人的には面の皮が厚くなったお陰で人に親切ができるようになってきました。

 と申しますのも、昔は誰かを親切にしようとしても、あれこれ考えてしまって結局、実行できないことが多かったんです。困ってる人に声をかけるのが恥ずかしかったり、単純に勇気が出なかったり。何より私が恐れていたのは「他人を親切にしたからといって相手のためになるとは限らない」という事実です。余計なお世話で手を貸したばっかりに、かえって酷い結果を招いてしまうかもしれない。子供の頃、母を楽させようと買い物を志願したら間違ったものばかり買ってきてしまったり、食器の片づけを手伝ったら皿を落として割ってしまったり、いろいろやらかしたのが原因かもしれません。そのうち、目の前に困ってそうな人がいても、なかなか手を貸せずに通り過ぎてしまうようになりました。

 でも、大人になって面の皮も厚みを増してきますと、「いいや、どうなろうと。『情けは人の為ならず』だ」と開き直れるようになってきたんです。「別にお礼を言われたくてやってるわけじゃなし、トラブったらトラブったで対処すればいいか」みたいな感じですね。何らかの理由で困ってる人を手伝えなくても「ここは手伝うとかえって悪くなる場面だったんだ」と自分を誤魔化せるようにもなりました。一見すると感心できない思考回路ではあるんですが、結果的に道端で困ってる人へ手を貸せる割合は上がりましたし、どういうわけか手伝ったことによりトラブルを起こす確率も減ってきました。感心できない思考回路でも、いい方向へ活用できるみたいです。

 一見するとよくないと思われるものでも、使い方によっていいほうに転がることは珍しい現象ではないようです。もちろん、相手を手伝った結果、いい影響をもたらすこともあれば、自分の利益にばかり走って悪い結果を出す時はあります。ただし、相手のために行動したらかえって損害を与えてしまう時があれば、私利私欲に走ったにもかかわらず結果的に誰かを救う時もある。

 例えば、同じ部署の同僚とプレゼン研修に行った時の話です。その同僚をここでは石垣さんとしておきますけれども、この石垣さん、優秀なんですが、目標達成のためなら割と手段を選ばないタイプでした。さすがに法は犯さないんですが、それでもビックリするような決断を平気でするんです。

 その研修ではいくつかの班に分かれ、テーマに沿ってプレゼンをすることになっていました。また、ひとり1票、自分たちの班以外でプレゼンのよかった班に投票し、最も票を獲得した班は賞品がもらえるそうです。賞品がゲットできるかもしれないと聞かされた石垣さんは思ったそうです。「欲しい」と。私はそういうのに全然興味がなかったので、その時の賞品も何だったのかスッカリ忘れてしまいましたが、石垣さんに後で聞いたら「自分で買おうとは思わないけど、ただでくれるなら欲しいもの」だったそうです。

 私は石垣さんと同じ班になりました。何しろ石垣さんは優秀ですから、同じ班だと知った瞬間「これは楽だ」と思いました。事実、やる気満々の石垣さんはあっという間に班のリーダー的存在になり、テキパキと班員に仕事を振りながらプレゼン資料を作り上げていきます。パワーポイントも短時間で作った割にはとても綺麗にできましたし、いざプレゼンの時間が始まると石垣さんは聴衆を笑わせながらスムーズにプレゼンを進めていきました。

 全ての班のプレゼンが終わると、10分間の休憩に入りました。休憩が終われば投票をして、優勝を決めるだけです。私が廊下の自販機で飲み物を買おうとすると、石垣さんに呼び止められました。石垣さんの隣には同じ班の人がもうひとりいる。

「星野さんはどこに投票するか決めた?」
「いや、まだだけど」
「だったら、その投票用紙、俺にくれない?」

 何でそんなことを言い出すのかよく分かりませんが、私としてはどこに投票してもよかったので、休憩が終わると講師に気づかれないよう、石垣さんに投票用紙を渡しました。石垣さんと一緒にいた方もまたコッソリと石垣さんに投票用紙を渡しています。

 私がどうしてどこに投票してもよかったのかと申しますと、偉そうな話になりますが、たぶん私の班が勝つと思ったからです。それくらい石垣さんのトークが場の空気を全部持って行ってたんです。結果は私の予想通り、我が班は1位を獲得しました。参加者の3割を超える票数を集めていましたが、私は何も驚きませんでした。ただ、意外だったのは2位の班と2票差で、思ったよりも僅差だったことです。それ以外の班は正直、勝負にならない得点差で、最下位に至っては3票しか入っていませんでした。

 うなだれる最下位班の方々に向けて、講師はこう言いました。「あなたたちの班のプレゼンも3人の方は素晴らしいと思ってくれたんです」。そう言われて最下位班の方々の表情は、ほんの少しだけほころび、研修室は暖かな空気に包まれました。

 研修が終わり、私は石垣さんと一緒に部署へ戻りました。石垣さんは賞品を手にホクホク顔です。私は賞品に興味がなかったので石垣さんにあげたら、更にホクホクしていました。

「助かったよ、星野さん。ありがとう」
「いや、どう考えてもMVPは石垣さんでしょ」
「何言ってんの。星野さんの投票用紙がなかったら危なかったよ」
「投票用紙?」

 私には発言の意味が分かりませんでした。

「最下位の班は3票だったろ? あれ、俺たちの票だよ」
「それは別にいいけど、なんであの班に?」
「優勝しそうになかったからだよ」

 事実、石垣さんが3票入れなければ、最下位の班に投票した人は0人でした。更に、石垣さんは続けます。

「明らかによかったのは2位だった班だ。普通にしてたら俺たち3人もたぶんそこに投票してただろ? でも、それじゃ危ないと思った」

 つまり、石垣さんは勝利を少しでも確実なものにするため、票の操作を試みたんです。講師にバレないよう、あまり目立たない規模で効果的に勝利するには3票が必要だと見積もった。そして、それがズバリ当たった。

 何より印象深かったのは、これだけ己の欲望へ忠実に動いたにもかかわらず、結果的に最下位の班の人たちを救っているところです。人のために動いても悲劇的な結末になる時もあれば、バリバリ我田引水マンになってもみんなのためになる場合がある。もちろん、人を救おうとしてちゃんと人を救う時もあれば、己の欲望を満たすがあまり人を傷つける時もある。

 何が起こるか分からない世の中、なかなか一筋縄ではいきません。それでも「何かしてみたら少なくともたまにはいいこともあるでしょう」くらいで、面の皮を厚くして動く。しばらくはそれでやってみようと考えています。

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