見出し画像

便を失うのが正しくなるかもしれない未来

 英語の授業で数々の間違いをしてきました。教師やクラスメートに笑われたことも余裕であります。そんな数々の間違いをネタにしたいため、あれこれ思い出そうと試みたんですが、せっかくの恥ずかしい思い出は記憶から消去されているようです。忘れたい記憶を頑張って忘れたに違いありません。なんともったいない。せめて当時も今と同じように「ウケたなら何でもいいや」という考えでいたらと悔やまずにはいられません。

 その代わりと言っては何ですが、他人の恥はよく覚えているんです。あまりに現金な人間であり、自分でも申し訳ないと思っています。もちろん、英語の授業における珍回答においても、他人の恥ばかり覚えているんです。

 珍回答の原因は、勉強不足にある。それは事実です。数々の珍回答をぶち上げ、笑われてきた私が言うんだから間違いありません。しかし、中には「これは間違えても仕方ないだろ」と思えるものがあるんです。教える側の問題なのか、言語上の欠陥なのかは分かりませんが、酷いものになると何人もの生徒が似たような間違いをする、言語トラップとも言うべき状態になるわけです。

 個人的に印象深い言語トラップはふたつあります。まずは、fishです。

 fishと言えば「魚」を意味します。何なら「フィッシュ」と言っても通用する、日本でもお馴染みの単語です。ただ、これを逆に英訳するとなると、トラップが発動するんです。

 「『魚肉』を英訳しなさい」の正解はfish「フィッシュ」なんですけれども、私のクラスで「fish meat(フィッシュ・ミート)」にする生徒が多発したんです。今では間違える人の気持ちがすごくよく分かりますし、当時もこう思いました。「これは『魚肉』も悪いよ」と。もちろん、原因は「肉」にあります。

 「肉」を使わない、魚肉を指す簡単な言葉があればよかったんです。でも、そんな言葉があれば既に使っているはずです。だから、「fish = 魚肉」は教える側としても苦肉の策なんだと思います。私も代替案を軽く考えてみましたが、「魚の身」と言うとニュアンスが異なりますし、今度は「fish body」と言う人が続出しかねない。「肉」を使わずに「魚肉」を表すのが案外難しい点に驚かされます。

 もうひとつの言語トラップはislandです。「島」を意味する言葉で、読みは当然「アイランド」です。「s」は発音しない、いわゆる黙字もくじと呼ばれるものなんですけれども、数ある黙字の中でアイランドの「s」が最も猛威を振るったんです。主な間違い方としては「アイスランド」と読む「アイスランド派」、「イズランド」と読む「伊豆諸島派」のふたつに分かれます。

 言語トラップは何しろ言語トラップですから、どの言語にも潜んでいます。そして、ネイティブだからと言って決して油断できない。当然ながら、私は日本語でも数々の失態をやらかしており、こちらもやっぱり他人の恥ほどよく覚えています。

 例えば、「失禁」という言葉があります。いわゆる「おもらし」の堅い表現でございます。大人が公の場で「おもらし」と言いたい場合には往々にして「失禁」が用いられる傾向にあります。

 しかし、どういうわけか公の場で「失便」と言う人がちょこちょこいらっしゃるです。文字として印刷されたものも見たことがあります。最初に「失便」を見た時は、うんこをどこかに失くしたのかと思ったんですが、文脈から判断するに、どうも「大きいほうをおもらしした」という意味で使っているようなんです。

 もちろん、失禁は大小どちらにも適用される言葉であり、どちらかに限定したい場合には「尿失禁」「便失禁」と、もらしたほうを頭につけて表現します。しかし、どういうわけか「失禁」を小さいほうだけに使う言葉だと錯覚してしまう傾向があるんです。どういうことなんでしょう。

 恐らくなんですけれども、便失禁より尿失禁のほうが圧倒的に目撃しやすい点が最大の理由だと思います。踏ん張りが利きづらい分だけ小さいほうが漏れやすいですし、漏れるものの形状的に小さいほうが表に出やすく、はたからみて「あ、漏らしてる」と判断しやすい。そんな目立つ尿失禁を誰かが「失禁」と呼ぶ様子を見て、「小さいほうを漏らすこと=失禁」と考えてしまう人が出てきたのでしょう。小さいほうが失禁なら、大きいほうは何だろう。そうだ、失便だ。そんな思考過程で「失便」が生まれたのだと思います。

 言葉はたまに間違った言葉が正解として定着する場合がございます。つまり、50年後には「失禁」は小さいほうだけを表す言葉となり、「失便」が分離独立しているかもしれないということです。

 馬鹿みたいな「長生きしたい理由」がまたできてしまいました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?