本当にみんな丸くなる
トムヤムクンをご存じの方も多いでしょう。タイ発祥の辛くて酸っぱいスープでございますね。私もたまに食べていますけれども、このトムヤムクン、なんか気づいたら日本に定着していた印象でございます。
ただ、辛いもの好きの友人が言うには、最初はもっと癖がすごかったんだそうです。文化の違いとでも言うんでしょうか、タイの人にはいいんでしょうけれども、日本の人が食べるにはにおいとか味とかに違和感があったんだそうです。でも、徐々に日本人でも食べやすい味になった。少なくとも友人はそう主張します。
パクチーもそうだったと友人は主張します。パクチーとはコリアンダーとも呼ばれる野菜もしくは香辛料でございまして、独特な味のためか、少なくとも私の周囲では評価が未だ真っ二つに分かれる食材でございます。
今でも充分に特徴的なお味なパクチーでございますけれども、日本で流行り始めたばかりの頃はもっと特徴が強かったそうなんです。もう「なんか薬でも盛られてる?」と思えるほどに、とんがった味だったんだそうです。
ウーロン茶もそうだったという主張を聞いたことがあります。昔はあの独特な渋みが強く、初めて飲む時は恐る恐るチビチビやりたくなるほどだったそうですが、今ではグビグビやっても問題ないくらい飲みやすくなった。
何かに似てると思ったんですが、分かりました。お笑い芸人に似ているんです。
お笑い芸人をそれなりにご存じの方は、若い頃の「とがりエピソード」を披露して笑いを取っている方を見たことがあると思います。「自分が面白いと思うネタだけを披露する」「自分以外の芸人を面白くないと考える」「仕事がないけどやりたくない仕事はやらない」などなど、とがり方は人それぞれです。
でも、とがっていると、やりづらい場合も多いわけです。いろんな人との摩擦を生じさせることもありますし、来る仕事も来なくなる。これじゃ良くないんだなとどこかの段階で思い知り、丸くなっていく。そんなところが、海外からやってきた飲食物と共通しているんです。
そう言えば、ウイルスのような病原体も、徐々に毒性が弱くなる場合があるようです。理由はいろいろあるでしょうが、よく言われているのが「宿主に死なれると自分も危うくなる」という説です。ウイルスだって自分が成長し、仲間を増やすために頑張っているのに、活躍の場がなくなってしまえば成長も増殖も満足にできなくなる。最悪バンバン感染しまくればいいとは言え、せっかくゲットした活躍の場はなるべく長く維持しておきたい。その結果、宿主を死なせないよう、ちょうどいい感じで病気になってもらうタイプが生き残るようになるとか。
「丸くなる」とは環境に適応することなのかもしれません。そして、それは人も飲食物もウイルスも同じ。何なら、もっといろんな物事に当てはまるのかもしれません。