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笑いに関する名言集――谷崎潤一郎、タキトゥス、ホッブズ、ブラウン、ジョンソン、モンゴメリ、吉田兼好、ヴォーヴナルグ

 お笑い好きが高じてか、笑いに関する名言を集めては、ちょこちょこ載せるという行為を繰り返しております。こんんなことをやり始めて、今回で4回目のようです。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 さて、笑いにどうしてもつきまとってくるのが「馬鹿にする」というニュアンスです。どれだけ「優しい笑い」に絞っても、「馬鹿にする」のニュアンスをゼロにした例を今のところ見たことがありません。それゆえに、笑いを狙う行為はどうしてもリスクが伴うわけなんですが、この辺りについて人は昔からいろいろ考えていたようです。

誰しも「怠け者」といわれて名誉に思う者はないが、しかしその一面において、年中あくせくと働く者を冷笑し、時には俗物扱いにする考えは、今日といえども絶無ではない。
谷崎潤一郎(1886-1965)、『谷崎潤一郎随筆集』より「懶惰の説」

世界名言集(岩波書店、2002)より

 谷崎潤一郎は明治から昭和中期に活躍した小説家で、様々な文章を華麗に使いこなし広く評価された「ザ・文豪」とも言うべき人物です。

 この名言で用いられる笑いは特に「馬鹿にする」の意味合いが強いです。むしろそのものであり、敢えてそのニュアンスで用いたと言っていい。だから「冷笑」という単語をわざわざ引っ張り出してきたのだと考えられます。

 そして、文豪と呼ばれる人は往々にして観察力がありますので、こうやって人間の言わば「あるある」をビシッと書いたりするんでしょう。

私は古今の歴史を繰り返して熟考すればするほど、ますますはっきりと、人間事象のすみずみまで、人間の真剣な努力をすべて嘲笑するむら気が、滲透しているのを感じてくる。
タキトゥス(55?-120?)、「年代記(上)」

世界名言集(岩波書店、2002)より

 タキトゥスはローマ帝国時代の政治家であり、歴史家として知られています。見ての通り、ざっと1900年くらい前の方です。

 タキトゥスはローマ帝国の人であり、私たち現代人から見たらもう充分に昔の人なんですが、歴史家ということもあり、更にさかのぼっていろいろ調べていたわけです。そんな人が谷崎潤一郎と似たようなことを言うわけです。これはもう、国も時代も関係なく、そういう人がずっといたことを示していると言っていいでしょう。というより、誰でもそうなる可能性があるくらい普遍的なものなのかもしれません。

他人の欠点を笑ってばかりいるのは、憶病の証拠である。 
トマス・ホッブズ(1588-1679)、「リヴァイアサン」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)より

われわれが嘲笑う他人の欠点が、われわれ自身の内部で己を嘲笑う。 
トーマス・ブラウン(1605-1682)、「キリスト教道徳」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)より

 トマス・ホッブスはイギリスの哲学者で、特に政治哲学者としての功績がよく知られています。そして、トーマス・ブラウンはイギリスの著述家として知られ、宗教から科学まで様々な分野の著作を残しています。

 ホッブズもブラウンもファーストネームのスペルが同じThomasで、事実、どちらもトーマス表記とトマス表記が見られるんですが、なぜかホッブズはトマス、ブラウンはトーマスと表記されることが多いようです。ほぼ同時代に、同じイングランドで活躍したふたりなんですが、この差は何なのでしょうか。

 それはともかく、他人を馬鹿にしたような笑いというのは当然ながら悪い印象を抱かれがちです。みんな何となく分かってるのに、馬鹿にしてしまう人が後を絶たないのはどういうことか。ふたりのトマスまたはトーマスはそれぞれに結論を出しています。

 まずホッブズは憶病を理由にしています。確かに、自信のない人がよく他人を馬鹿にするイメージはあります。いつも他人の欠点を探すような心理状態とは何なのか、その辺りを詰めて考えた結果なのかもしれません。

 ブラウンは著述家ということもあってか、表現がもう少々複雑です。より分かりやすい解釈をするならば「馬鹿にしているつもりの他人の欠点ってのは、実は自分自身の中にある欠点と同じなんだよ」ということでしょうか。いずれにしろ、欠点だからと言って他人を笑うことは昔からいいこととはされていませんし、その傾向は今後も続いていくでしょう。

私は、自分と自分の行動がばかばかしく思えるようになったとたん、変わりはじめたのだ。自分が変わるには、自らの愚かさをあざ笑うことだ。そうすれば見切りをつけ、前進することができるのだ。
スペンサー・ジョンソン(1938-2017)、「チーズはどこへ消えた?」

生きる財産となる名言大語録(三笠書房、2002)より

ユーモアは、人生の饗宴においての最も風味に富んだ調味料である。自分の失敗をわらい、そしてそこより学べ。自分の苦労をわらい草にしつつ、それから勇気をかきあつめよ。困難をわらいとばしながら、それに打ち勝て。
ルーシー・モード・モンゴメリ(1874-1942)、「アンの愛情」よりウドレイ教授の言葉

赤毛のアンの名言集(講談社、2014)より

 スペンサー・ジョンソンはアメリカの心理学者ではありますが、1998年に発売された「チーズはどこへ消えた?」がベストセラーとなり、広く知られる著作となりました。

 ルーシー・モード・モンゴメリはカナダの小説家で、「赤毛のアン」の作者として広く知られ、カナダ文学を代表する人物のひとりとされています。

 笑いにはしばしば「馬鹿にする」というニュアンスが含まれると冒頭で申し上げました。「馬鹿にする」は当然ながらネガティブなイメージが先行しがちですけれども、「自分を笑い飛ばす」という意味に用いてポジティブなイメージをもたらす名言も存在しています。それが、上記のふたつとなっています。

 要は「ダメな自分を笑い飛ばし、そこから成長していこうよ」というような感じですね。同じ言葉でも使い方次第でイメージがひっくり返る好例でしょう。

一事必ず成さんと思わば、他の事の敗るるもいたむべからず、人の嘲りをも恥ずべからず。万事にかえずしては、一大事は成るべからず。
吉田兼好(1283?-1352?)、「徒然草」

生きる財産となる名言大語録(三笠書房、2002)より

 吉田兼好は兼好法師とも呼ばれ、「徒然草」でよく知られた随筆家です。

 何かをやってやろうとすれば、一生懸命になる必要がどうしても出てくる。そうすると、様々な理由で馬鹿にする人が出てくる。憶病な人がわざわざ欠点を探して笑う場合もある。でも、その欠点の指摘が大事な時もある。いずれにしろ、他人に馬鹿にされる程度で恥ずかしがっちゃいけないよ。吉田兼好はそう主張しているかのようです。

 今回はフランスのモラリスト、ヴォーヴナルグの名言で終わりにしたいと思います。

最も嗤うべき、最も向こうみずな希望が、ときとして異常な成功の因であった。
ヴォーヴナルグ(1715-1747)、「省察と格言」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)より

◆ 今回の名言が載っていた書籍

◆ その他の参考文献
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コトバンク


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