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笑いに関する名言集――カサノヴァ、斎藤緑雨、魯迅、柳田國男、林達夫

 名言好きは多いみたいです。だから、書籍やネットに膨大な量の名言集があるんでしょう。特定のテーマに絞った名言集も珍しくありません。

 お笑いが好きな私としては「笑い」に関する名言が気になりました。もちろん、その手の名言集もあるにはあるんですが、ゴッソリまとめられてるなと言えるものは今のところ見つかっていません。じゃあ、ちょっとずつでも集めてみようと思い立ち、その結果を公表しているのがこの「笑いに関する名言集」です。

 ここでは笑いの名言を以下のみっつのどれかに当てはまるものとしました。

・笑いに関係する言葉が入っている名言
・笑いに関係する仕事をした人の名言
・笑う余地がある名言

 今回は5つの名言をご紹介いたします。

相手を泣かせようと思うときは、まず自分から泣いてかからねばならない。だが、笑わせようとするときは、自分はしかめつらしくかまえていなければならない。
ジャコモ・カサノヴァ(1725-1798)、「我が生涯の物語」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)より

 カサノヴァはヴェネツィア出身の芸術家であり、膨大な女性遍歴で知られている人物です。複数の女性と関係を持つのはもちろん、男性と夜を共にする時もあり、女装にも興味を持っていたとウィキペディアには書いてあります。彼の一生は「我が生涯の物語」という回顧録に書かれており、今回の名言もそこが原出典のようです。

 例外はありますが、相手を笑わす場合、自分は笑わないほうがいいことが多いようです。私自身の経験則でもそうですし、お笑い芸人でも割と同様のように思います。

 現在活躍している芸人で、真顔で面白いことを言う人の代表格と言えばやはりダウンタウンの松本人志さんというのが私の勝手なイメージです。そう言えば、松本さんは独身時代、とにかく女性とのあれやこれやを週刊誌に書かれていましたし、自分からも話したりしていました。芸人としては著書も多く残している方です。全く一緒とは思いませんが、でもカサノヴァと松本さんは似たような部分を多く持っているように思います。

今の作家の作を売ると咎(とが)むといえども今の批評家は評を売り居るなり。人の途に転ぶを見て大口あいて笑いながらおのれは電信柱にぶつかれると些かの相違も無し。
斎藤緑雨(1868-1904)、『あられ酒』より「金剛杵」

世界名言大辞典 新装版(明治書院、2018)より

 斎藤緑雨は明治期の小説家であり評論家でもあります。格言を得意としており、「ギヨエテとは 俺のことかと ゲーテ云ひ」という言葉で知られていますが、この言葉は斎藤が作ったものか怪しいという説もあるようです。

 批評家が作家をガツンと批判するも、その批判がブーメランになって自分の頭に突き刺さっている。そんな状況を示しているかのような名言に見受けられます。小説家と批評家の両方を行っていた斎藤だから気づいた批評の難しさなのかもしれません。

人は言う、諷刺と冷嘲とは紙一重だと。趣があるのと歯が浮くのともまた同様だ、と私は思う。
魯迅(1881-1936)、「朝花夕拾」

世界名言集(岩波書店、2002)より

 魯迅は中国出身の小説家で、代表作「狂人日記」「阿Q正伝」は、その独特なタイトルから国語の教科書で多くの学生にインパクトを残し続けています。

 「諷刺」は社会や人物などを遠回しに批判する行為を指し、時に嘲笑的な手法を用いるのに対して、「冷嘲」は冷たくあざけるという、そのまんまな意味となっています。ちょっとの違いが全然違う結果を出してしまう時は往々にしてございます。そして、それがたまに悲劇を起こす場合がある。趣ある表現ができたと思っていたら、相手にとっては歯の浮くような表現だったとしたら。5年後に思い出して死にたくなるやつですね。

今の事(こと)滋(しげ)く気遣いの多い時代に際して、心ゆくばかりの好(よ)き笑いを味わわしめるということは慈善事業である。
柳田國男(1875-1962)、『不幸なる芸術・笑の本願』より「笑いの本願」

世界名言集(岩波書店、2002)より

 柳田國男と言えば日本の民俗学を確立した人物として知られ、「遠野物語」などの代表作を残しています。

 「滋く気遣いの多い時代」なんて、2023年の話をしているのかと思いきや、「不幸なる芸術・笑の本願」が発売されたのは調べたところ1953年と、ザッと70年前の出来事です。油断すれば「今と比べて大らかな時代で」なんて言葉で語ってしまいそうな時代なのに、柳田は気遣いの多い時代だと書いていたんです。

 私は名言集から引っ張り出して来ただけなので、柳田が何を思ってこう書いたのかまでは分かりませんけれども、ただ思うこととしては、人は過去を美化してしまう傾向がやっぱりあるのかなあということです。確かに昔は大らかな部分があったのかもしれませんが、一方で大変なこともたくさんあったはずなんです。私だって、大人になってから小学校の通学路を歩くと当時の楽しかった思い出にばかり浸りそうになりますが、よくよく考えたら、派手に転んで顔面からしっかり血を流したり、雨上がりに傘を振り回していたら増水した用水路に投げ込んでしまってそのまま紛失したりと、嫌な思いでもちゃんとあったりするんです。そして、「それでも、あの頃はよかったな」なんて思ったりする。そういうもんなんだと思います。

心血そそいで命がけで書いた作品にも、ゲラゲラ笑い出さずにいられないものがあろう。この場合、残酷だがその笑いがやっぱりいちばん親切な批評だ。
林達夫(1896-1984)、『林達夫評論集』より「批評家棄権」

世界名言集(岩波書店、2002)より

  林達夫は評論家であり、思想家としても活動し、文化や文明の歴史に関する著作を多く残しています。

 林がどんな人か分からなくても、この名言は心の底から納得できる方が多いのではないでしょうか。「あるよね、あるある」と言いたくなります。

 もちろん、そういう恥ずかしさを乗り越えて、それでも諦めなかった人がちゃんとした作品を残していくんだと思います。

◆ 今回の名言が載っていた書籍

◆ その他の参考文献
ウィキペディア

◆ 過去の名言集

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