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初めてバードスタジアムに行った時の話(1995年10月21日)

この記事は島根の鳥取サポ、気難しいような人なつっこいような不思議なパーソナリティを持つKAZZさん(Twitter)に寄稿して頂きました。OWL's Forestのメンバーによる寄稿ということで無料公開させて頂いております。

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予め一点だけ断っておくが、チケットの写真を除いて、スタジアムにまつわる写真は全てフィルムカメラで撮影したものを加工している。色が褪せ気味なのはそういうことだ

知らない人もいるだろうから、念のために申し添えておくが、昔は2シーズン制で、いわゆる前期をファーストステージ、いわゆる後期をセカンドステージと呼んでいて、その双方に冠スポンサーがついていた。


ファーストステージはサントリーシリーズと言い、セカンドステージはNICOSシリーズと呼んでいた。で、この試合はセカンドステージの試合の一つだった。

今は山陰道という自動車専用道路ができていて、鳥取に行くにもだいぶ楽になったと思うが、昔は当然のことながら下道しかなかった。

まだところどころにしか自動車専用道路が開通しておらず、殊に鳥取県内に至っては、大部分が未開通だ。だから、その時点で開通していた松江市内から米子市内までの区間のうち、両市にある無料区間ぐらいしかお世話になっていない。

そのために国道9号線などというものを通るわけだが、これが大変だ。昼間に通行する分には、交通量もそれなりにあって良いけど、夜は灯りが乏しいから勘弁してほしい。寂しすぎるのだ。

Googleマップ=鳥取市気高町奥沢見 
※編注 画像で張るとわかりづらいのでURLのままとしました。クリックしてみてください。

この今で言う鳥取市西部に該当する近所の駐車帯は、昔よく世話になった。休むのにはちょうど良いのだ。この付近に連続してある酒津や水尻のトンネル群を抜けたぐらいで一息つけたのは良かった。バードスタジアムまでは、まだ距離はあるけれど、それでも休めるのと休めないのとでは違う。

この頃で言う気高郡気高町は旧鳥取市に程近く、うねうねはしているが、それなりに快走路とは言えた。魚見台みたいな極端な高低差があるわけでもないし。

昔はパルサーなどに乗っていたので、今よりはもう少し楽だった。今の車は乗り心地は良いと思うが、軽自動車故に長距離のドライブには向かないだろう。自分も歳をとったし。

そうしてスタジアム近くに着き、倉田の河川敷に車を停めた。そしてそこから歩いてバードスタジアムに向かった。今ならシャトルバスでも出ているだろうし、当時もあったかもしれないが、自分は歩いた。別に歩くことは苦じゃなかった。

歩くとスタジアムが見えてくる。

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この時はもう10月下旬で稲刈りは済んでいる。だから田んぼはこんな感じ。そんな田園風景の中に突如としてこんなスタジアムがある。当時、ビックリした人は多いんじゃないか。

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スタジアムに近づいて正面から入り口の構えを覗いてみた。今も大して変わらないね……って当たり前か。

今はネーミングライツがあるので、冠がつく。以前なら「とりぎん」だろうし、今なら「Axis」だろう。
だが、この頃はそんなものはないので、当然のことだが「鳥取市営サッカー場バードスタジアム」という厳めしい名前がついていた。

さて、スタジアムに入って行くとしよう。

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ホーム側のゴール裏。この10年ぐらいあとにしばらく通い詰めるなどとは思ってもみなかった場所だ。

馴れ初めを話し出すとスペースがいくらあっても足りなくなるので今回は残念ながら略すのだが、自分はベルマーレのファンだったので、ベルマーレサイドに席を取った。
まだこの頃はゴール裏に入り込む、なんて図々しい真似はしていない。それをするのはもう少し後の話だ。

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鳥の羽を模している、という屋根。あまり役に立つ印象が当時からなかったのだが。実際にも雨天の際には役には立たなかったと思う。

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これが当時のベルマーレ平塚サポーター御一行様。

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もう少し増えるとこんな感じ。ゴール裏に限らず、この試合、バカみたいに人がたくさんいたんだよなあ。何しろ1万人越えたもんね。

(リンク https://soccer-db.net/result.php?g=19951021007)

ただ、スタジアム公式はお客の数が違う。SoccerD.B.では12,734人と書かれており、スタジアム公式では11,282人となっている。

(リンク https://www.fa-tottori.com/?page_id=10433

どっちが正しいかはわからない。サンフレッチェ広島も湘南ベルマーレも、双方の公式サイトにてこの頃の記録を公開していない。あまりに古すぎるからかもしれない。

ただ、スコアは上の通り2-1で、河野太郎大臣風に言うところのサンフレッチェ広島が圧勝だ。残念ながらベルマーレ平塚が、ではない。

で、たぶん、小島伸幸氏。この頃はレギュラーのGKだったから。

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メンバーを見てるとわかるように、あの中田英寿がいる。当然、中田の印象もあるはずなのだが、正直、この試合は2得点の高木琢也に尽きるんじゃないだろうか。この前まで大宮の監督をしていたあの人だ。
中田は、そう言えばいたなあ、ぐらいの記憶しかない。

ジュニオール、エジソン、シモンなんて懐かしすぎるが、パッと顔がすぐに出て来るのはエジソンぐらいかもしれない。シモンやジュニオールは言われれば思い出すだろう。

今は指導者である名塚や田坂は当時のバリバリの主力だったから。

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当時の試合の雰囲気が、ほんの一端だけでも感じてもらえれば良いかと思うが、どんなものだろう。

まあ、試合には負けたけど、ベルマーレ平塚を間近で見られて、個人的には大変に有意義なひとときだった。鳥取からほとんど同様のルートを辿って出雲まで戻っていく道のりも、テンション高かったので苦にはならなかった。

もっとも、ベルマーレがこのスタジアムで勝つには2012年4月のガイナーレ鳥取戦まで待たなければいけなかったが。
そして自分はその時、既にガイナーレ鳥取のサポートをメインにしていた、というオチがつく。

ともあれ、この時から25年以上、このスタジアムとのつきあいが続いている。

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